江ノ本のつれづれblog

映画やゲームのレビュー・感想を中心に書いていきます。

【レビュー/70点】『ボブ・マーリー:ONE LOVE』曲の力で3回泣いた

本記事は映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』のレビュー・感想になります。

ネタバレを含みます。

bobmarley-onelove.jp

本作はジャマイカが生んだ伝説のレゲエミュージシャン、ボブ・マーリーの音楽伝記です。彼が生きた時代と彼の活動を描きながら、彼が残した楽曲によって現代の私達に人種や国を超えた団結を呼びかけます。

私は彼のことを特別に愛している熱心なファンではありませんが鑑賞中に3回涙を流しました。今なお争いの絶えない地球に生きる私達にも彼のメッセージは刺さるでしょう。

映画としては彼の楽曲に依存している部分が強く、脚本や演出、構成に目を見張るものは無く、ドラマ仕立てで作られたボブ・マーリーのベストアルバムのミュージックビデオという印象にとどまりました。

100点満点中70点としましたが、私のように感化されやすい人にはおすすめです(笑)。涙活にもおすすめの一本です。作品時間が長すぎないことも大変Good。

基本情報

監督:レイナルド・マーカス・グリーン

配給:東和ピクチャーズ

公開日:2024年5月17日

原題:Bob Marley: One Love

作品時間:108分

あらすじ

1976年、カリブ海の小国ジャマイカは独立後の混乱から政情が安定せず、2大政党が対立していた。30歳にして国民的アーティストとなったボブ・マーリーは、その人気を利用しようとする政治闘争に巻き込まれ、同年12月3日に暗殺未遂事件に遭う。2日後、マーリーは怪我をおして「スマイル・ジャマイカ・コンサート」に出演した後、身の安全のためロンドンへ逃れる。名盤「エクソダス」の発表やヨーロッパツアーを経て、世界的スターの階段を駆け上がっていくマーリーだったが、その一方で母国ジャマイカの政情はさらに不安定となり、内戦の危機が迫っていた。

https://eiga.k-img.com/images/movie/99799/photo/b23929481f6072d6/640.jpg?1708331091

(引用:ボブ・マーリー ONE LOVE : 作品情報 - 映画.com

レゲエに疎くても楽しめる

本作はボブ・マーリーの一生ではなく、彼が最も精力的に活動した2年間を約100分の尺で描いています。短くて嬉しいですね(笑)。
彼が生きた時代の社会情勢を見せつつ彼と彼の大切な仲間の生き様が映像化されています。

場面場面に合わせて彼の名曲が挿入されたり、コンサートやセッションのシーンが何度か盛り込まれたりしますが、その際は和訳の歌詞字幕が表示されます。
これらのおかげで時代背景や彼の精神が観客に共有されるので、レゲエに疎い私でもすんなりと彼のメッセージに触れることができました

私はボブ・マーリーについてSpotifyでたまたま流れてきた『I Shot the Sheriff』しか知らない状態でした。もっと言うと先にエリック・クラプトンがカヴァーしたバージョンを聞いていましたし、失礼な話ですがこの曲はエリック・クラプトンの楽曲だと思っていました(^^; ボブ・マーリーの原曲を事前に教えてくれたSpotifyに感謝。

youtu.be

そんな私でも鑑賞中に3回泣きました。約100分で3回泣いたので、30分に1回泣けます

私達にストレートに呼びかけるボブ・マーリーの楽曲の歌詞が胸に刺さります。日本に生きる私達には想像もつかない社会で彼が生きていたことを映像で体験しながら聴くと、その明るさと強さの裏にどんな思いがあったのかを想像し、自然と感情移入してしまいました

ボヘミアン・ラプソディ』を期待しないように

本作は音楽伝記ということもあって、このジャンル流行の走りである『ボヘミアン・ラプソディ』(公開:2018、監督:ブライアン・シンガー)のような作風を期待する人も多いかと思います。私もそうでした。しかしそのような期待はせずに映画館に向かうことをおすすめします。

ボヘミアン・ラプソディ』はQUEENのボーカル、フレディ・マーキュリーを軸に彼の音楽生活をデビュー前からドラマティックに描き、ラストは伝説のライブ「ライブ・エイド」を忠実に再現し一気に盛り上がって幕を閉じる作品でした。

一方、本作は開始時点で既にボブ・マーリーはジャマイカのスターとして登場します。彼のバンドの駆け出し時代は彼が時折振り返る過去の回想として出てきますが、下積み時代の苦労はほぼ描かれません。彼の子供時代の音楽との触れ合いは多少顔を出しますが、それらのシーンは彼と彼の妻との馴れ初めを描くためのものです。

ボブ・マーリーが個人で抱える問題やバンド内のいざこざなどはあまりフィーチャーされず、ボヘミアン・ラプソディ』に比べるとからっとした見せ方になっていました。意図的にそのような脚本にしたのか、あるいは実際にそこまで深刻なできごとが無かったのかはわかりませんが、観客の心を揺さぶる仕事はほとんど楽曲任せになっているように感じました。

彼の哲学を描きつつも彼の人生についてはことさらドラマティックには描かずに淡々とストーリーは進んでいきます。その為、鑑賞後に振り返ってみると、彼のベストアルバムのミュージックビデオ、プロモーションビデオを見ていたような感覚になりました。淡々とした印象を受けるのは題材となっているボブ・マーリー自身のメンタリティによるものかもしれません。彼は苦しい局面に立たされても、周囲の助言などあるにせよ、彼の中で自己解決して前進していき、最善ではないが最悪でもない結果を得ます。

本作はボブ・マーリーの歌詞で私達に直接何かを呼びかけます。ストーリー部分はそれら楽曲を盛り上げるために撮影されたようでした。彼が残したメッセージを彼の楽曲で感じさせることを目的としたのであれば、彼の哲学に触れ彼が生きた時代を共有する程度に留めたシナリオと演出は十分なクオリティに達していたとも思います。

コンサートのシーンも音楽は素晴らしいにもかかわらず、爆発的な盛り上がりはありませんでした。これも『ボヘミアン・ラプソディ』を期待すべきではないポイントになります。『ライブ・エイド』のような圧倒的な一体感を味わうようなシーンは期待してはいけません。映画の題名にも使われている『ONE LOVE』は「そこで流すのか…」と思いましたが、ボブ・マーリーの置き土産というような趣もあり泣いてしまいました。だからあれでよかったような気もします。

コンサート以外にはレコーディング風景やセッションの場面でもボブ達の演奏する姿が登場します。こちらはとても魅力的で、ミュージシャンってかっこいいなあと思わせてくれます。ボブと観客のやり取りよりも、ボブと仲間達の心地よい距離感や空気感を楽しめる作品なので、そっち方面のシーンがもっとあっても良かったかも知れません。その結果作品時間が120分になったとしても良い体験が得られたと思います。

本作を鑑賞する前に知っておくべきキーワード

予備知識無しで鑑賞した私が押さえておいてほしいと思うキーワードは以下の3つです。

  1. ジャー
  2. ラスタ
  3. ラスタファリ

順番は本編中のセリフで登場した順番です。確かこの順で登場し、私は「レゲエをやる黒人にとって大事な『神』とか『同士』みたいなものなんだろな(のほほん)」と思いながら見ていました(^^;

「ラスタファリ」というのはアフリカ黒人達が信仰する宗教的概念です。

第2次世界大戦後、イギリスの植民地となっていたエチオピアは独立し、エチオピア皇帝が返り咲きました。そのエチオピア皇帝の名はハイレ・セラシエ1世(1930年4月に即位)といい、本名を「ラス・タファリ」といいますハイレ・セラシエ1世の名は本編にも登場しますが、彼が何者なのかという丁寧な説明まではありません。

エチオピア皇帝が返り咲く前に、黒人指導者のマーカス・ガーヴェイ(1887年〜1940年)という人が、ニューヨークで「世界黒人地位改善協会」を設立し、黒人たちは黒人としての誇りを持ちアフリカに帰還するよう呼びかけていました。その中で「アフリカの王による世界中の植民地解放」「救世主がアフリカ大陸を統一する」「救世主が奴隷として世界中に散らばった黒人たちを約束の地(アフリカ)へと導く」と予言していました。

そうした背景があったため、返り咲いたエチオピア皇帝のことをガーヴェイが予言したアフリカの王として崇拝する人達が現れ、彼等をエチオピア皇帝の本名にちなんでラスタファリアン」「ラスタ」と呼ぶようになりました。

ガーヴェイは予言の中で「救世主」「アフリカの王」を「ヤハウェ」と呼びました。この「ヤハウェ」を短縮した言葉が「ジャー」です。つまり「ジャー」とは黒人たちを導く神です。

ちなみにラスタの人達にとって大麻は神聖な植物なので作中でもスパスパ吸いまくります。イギリスの音楽スタッフにも「お前も吸ってみろよ!」とフランクにおすすめします。平和ですね。

アフリカやレゲエの文化について理解してから鑑賞したほうが本作をより楽しめるのは間違いないのですが、上記の3つを押さえておけば十分だと思います。

まっさらな状態で鑑賞した後に調べものをして映画での体験と知識がつながる感覚が楽しむのも良いでしょう。

まとめ

ボブ・マーリー:ONE LOVE』は現代の私達にも刺さるボブ・マーリーのメッセージを届けてくれる作品です。泣けます。

でも『ボヘミアン・ラプソディ』のようなものを期待するとちょっと肩透かしになってしまいますのでご注意を。

日本人に馴染みのないアフリカやレゲエ文化の知識もちょっぴり必要ですが、視野を広げてみるつもりでこの作品から飛び込んでみることをおすすめします。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

【レビュー/80点】『鬼平犯科帳 血闘』安定の鬼平を役者の魅力が彩る!

本記事は『鬼平犯科帳 血闘』のレビュー記事です。

ちょっとだけネタバレを含みますのでご注意ください。

本作の物語は過去にテレビドラマ化もされている定番エピソードであり、安心して観ることができました。映像面でも驚かされるポイントがあり、音響も作品への没入感を高めてくれました。途中で中心人物の一人がフェイドアウトしてしまうこともあり、構成はもう少し工夫してほしいところでしたが、複雑な時系列にせず見やすくなっていました。本作の見所は有名俳優達の貫禄の芝居と新たな魅力、そして映画館で上質なテレビ時代劇を楽しめることにあるでしょう。

中村吉右衛門の『鬼平犯科帳』好きの私としては100点満点中80点といたします。

時代劇を普段見ない人にもヒーローアクション作品としておすすめです。

https://onihei-hankacho.com/assets/images/movie/mv_pc.png

onihei-hankacho.com

 

基本情報

配給:松竹

監督:山下智彦

原作:池波正太郎

脚本:大森寿美男

公開:2024年5月10日

作品時間:111分

あらすじ

長谷川平蔵のもとに、彼が若い頃に世話になった居酒屋の娘・おまさが現れ、密偵になりたいと申し出る。平蔵にその願いを断られたおまさは、平蔵が芋酒屋主人と盗賊の2つの顔を持つ鷺原の九平を探していることを知り、独断で調査に乗り出すが……。

(引用:鬼平犯科帳 血闘 : 作品情報 - 映画.com

登場人物についてちょっと補足を…。

長谷川平蔵火付盗賊改方の長官。火付盗賊改方とは、江戸の重罪である放火と強盗、賭博を取り締まる役職である。その厳しい手腕から長谷川平蔵は「鬼の平蔵」、「鬼平」と呼ばれて悪党から恐れられている。若い頃は結構な遊び人だったが、今では配下の与力や同心(どちらも江戸幕府の役職。同心のほうが与力より格下)達から信頼されている。

おまさ:若き日の平蔵を知る女性(本作では何故か平蔵よりも非常に若く見える(笑))。父親が元盗賊。平蔵に秘かに思いを寄せていた父の死後は盗賊一味の引き込み役(盗みのターゲットに事前に潜入して盗賊をサポートする役目。簡単に言えばスパイ。金持ちの家に住み込みで働いたりする)として働いていた。平蔵が火付盗賊改方長官に就任したことを知り、盗賊から足を洗って密偵(平蔵が悪党を捕まえる為の情報収集をする)として平蔵のもとで働きたいと考えている。

九平:芋酒屋を営んでいる老人。芋酒屋の主人は表の顔で、実は盗っ人である。九平は人を殺さず痕跡を残さずこっそり盗みを働くことに盗っ人としての誇りを持っている。ある日いつものように忍び込んだ盗み先で押し込み強盗の現場に遭遇してしまう。自身には無関係な強盗事件のせいで平蔵に目をつけられてしまう。

網切の甚五郎:九平が目撃した押し込み強盗を働いた盗賊団の頭。異常なほどに長谷川平蔵を憎んでいる。以前はスマートな盗っ人稼業を営んでいたらしいが、現在は盗み先の人間を皆殺しにしている。

定番エピソードの人気エピソードが令和に蘇る!

本作の物語は過去のテレビ時代劇や漫画等でも定番の人気エピソードとなっております。人気エピソードだからこそファンとしては期待と不安を感じてしまうところですが、本作は令和のキャストとスタッフで見事に映像化されていました。

物語の大きな要素は以下の4つになります。

  • おまさのスリリングな単独調査は成功するのか!?
  • 火付盗賊改方と強盗団のいざこざに巻き込まれた九平の顛末やいかに!?
  • 網切の甚五郎は何故長谷川平蔵を憎み、惨い盗みを働くのか!?
  • 平蔵、おまさ、九平、甚五郎を結びつける因縁とは!?

主に活躍するのはおまさと九平であり、圧倒的なインパクトを残すのは網切の甚五郎なのですが、本作で起きる騒動の根っこにいるのは皮肉にも平蔵であるという、なんともやるせないストーリーとなっています。渋いです…。

本作では遊び人時代の長谷川平蔵についても描かれるので、初めて『鬼平犯科帳』シリーズに触れる人でも平蔵というキャラクターの魅力をつかみやすくなっていました。単なる正義の味方、清廉潔白な武士ではない平蔵だからこそ、その義理と人情に溢れたふるまいにも説得力が出てきます。

映像面では随所にCGやミニチュアの技術が使われていながらも不自然な印象を受けない仕上がりとなっていました。私はVFXやミニチュア特撮が好きなので「なんだか今のカットはおもしろかったな」とか「これどうやって撮ったの!?」とか割と敏感に反応しながら映像そのものにも驚かされる部分がありました。

音響面で個人的に評価したいのは映画館で味わう素晴らしい環境音です。緊迫したあるシーンで感じましたが、その場に居合わせているかのように思わせる音に包まれる感覚はテレビ放映では味わえないものでした。是非劇場で鑑賞してほしいと感じるポイントです。

構成はやや単調で中だるみあり

本作の構成は基本的に物語の始まりから終わりまで時系列を追って描かれるので、非常にわかりやすくなっています。後半で一旦過去の平蔵達のエピソードが集中的に入ってきて、ここで熱い展開が用意されてから現在に戻り、終盤にかけて一気に盛り上がっていきます。

ただ、この後半に入る前に私の大好きな(笑)九平に関する話が一段落ついてしまい、九平の見せ場が無くなってしまったことが残念でした。その上さらに、九平の件に片がついて、さあ残るは網切の甚五郎だというところで少し展開がもたついた感があり、やや中だるみを感じました。

中心人物達の過去の関係をもう少し映画全体に散らして挿入し、凶悪な甚五郎と決着をつけた後、さて九平はどうなってしまうのかという流れでエモいラストを見せてほしかったというのは私のワガママでしょうか。

注目の役者6名

松本幸四郎

頼れるお頭である鬼の平蔵をちょっぴりお茶目な味付けで演じていました。幸四郎さんの小粋な雰囲気が分け隔てなく仲間や町民に接する長谷川平蔵にマッチしていました。火付盗賊改方の長官として考えるとちょっとお顔が上品すぎるかな?という感じもありましたが、怒りをあらわにした際の鬼っぷりと平時とのギャップはグッときました。

市川染五郎

若き日の平蔵「長谷川銕三郎」を演じた染五郎さんは、若々しくフレッシュな芝居でした。銕三郎の青臭さは染五郎さんの若さによって引き出されていると感じました。これから情に厚い粋な平蔵に育っていくことを予感させる銕三郎を実直に演じることに成功しています。

柄本明

九平を演じた柄本明さん。スクリーンに映っていない時に物足りなさを感じてしまうほどの存在感はさすがです。九平の、やってることは泥棒だけども憎めない感じと滲み出る胡散臭さは柄本明さんならではでしょう。盗みの腕は確かだが事の成り行きに逆らえないお人好しな感じを貫禄の芝居でコミカルに演じています。

中村ゆり

おまさを演じる中村ゆりさんは、最初に見た時はこんな細っこい若い娘におまさが演じられるのかと疑ってしまいましたが、杞憂に終わりました。胆の座った強い決意を胸に秘めたおまさを見事に演じ切っています。中村ゆりさんの美しく儚げな佇まいがおまさというキャラの魅力を引き立てていました。好きになっちゃいました

北村有起哉

網切の甚五郎を演じた北村有起哉さんはとにかく顔が怖かったです。今日本で一番怖い顔をしていると言っても過言ではない。アマゾンのCMでも怖い役じゃないのに怖かったですね。

志田未来

志田さんは甚五郎に協力する引き込み女の「おりん」を演じています。引き込み女ですから卑怯なことも色仕掛けもお手の物というわけですが、そんなおりんを志田未来さんが見事に演じていました。こういう芝居もできるのかと驚かされました

小学生の頃から子役として『女王の教室』(日本テレビ・2005年)等で活躍している姿を知っているので、本作での妖艶な悪女の演じっぷりを見ると、見たくない面を見てしまったような気持ちになるほどに艶っぽい芝居を見せてくれています!

私が色街に遊びに行った客だったらほいほいついていきます。そして極秘情報を漏らして用済みになったところを殺されるでしょう。

もともと丸顔で童顔の志田さんなんですが、その目つきは修羅場を経験してきた陰のある女のそれでした。志田未来さんを本作の最優秀賞助演に私は推したいです!

まとめ

定番エピソードを見事に令和に蘇らせた『鬼平犯科帳 血闘』は時代劇初心者の方でも見やすい作品となっています。

時代劇ファンの方にはテレビとは一味違った鬼平体験を是非映画館で味わっていただきたいと思います。

時代劇ということもあって普段とは違った役者さんの魅力も楽しめますよ。

時代劇のこれからが楽しみなる、おすすめの一作です。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

過去の『鬼平犯科帳』はAmazon Prime Videoでも視聴できます。

松本幸四郎さんの『鬼平犯科帳』前作はこちら

中村吉右衛門さんの『鬼平犯科帳』もおすすめです。

【レビュー/40点】『FOREVER BLUE LUMINOUS』(Nintendo Switch)ゲームではなく泳げる魚図鑑

本記事はNintendo Switch専用ソフト『FOREVER BLUE LUMINOUS』 (フォーエバーブルー ルミナス)のレビューです。

本作は自由に海を泳ぎまわり、魚との出会いを楽しむ癒し系ゲームです。

ゲーム内には500種類以上の魚が収録されています。

自動生成される海は毎回新鮮な冒険を提供してくれます。

オンラインプレイで友人や知らない人と協力プレイも可能。

シリーズ作品未経験の私としては100点満点中40点です。

www.nintendo.com

基本情報

機種:Nintendo Switch

発売元:任天堂

開発元:ARIKA

発売日:2024年5月2日

Switchとしては上出来、携帯機モードでも綺麗

このソフトの特筆すべき点としてはそのグラフィックです。

PS5、XBOX series X|Sと肩を並べた時にどうしても見劣りするSwitchソフトのグラフィックですが、本作はSwitchソフトとして十分満足のいくグラフィックだと思います。

美しくモデリングされた魚達は目を見張るものがありました。魚のモデリングに全振りしていると言っていいでしょう。

海の表現は非常にシンプルです。水の揺らぎやきらびやかに差し込む太陽の光、舞い上がる海底の砂、サンゴの卵、プランクトンなど、繊細な表現や細かなオブジェクトが搭載されていない点は寂しく感じます。よく言えば魚を認識しやすい海になっています。

浅瀬だけで見ると上記のように少し寂しい感じもしましたが、深海を目指して泳ぐと海は徐々に暗くなり、海底では真っ暗な空間でライトだけを頼りに泳ぐことになるという明暗の変化が素晴らしいので気分は盛り上がります。

私個人として嬉しかったのはこれらグラフィックの特徴をSwitchの携帯機モードでも十分に楽しめたことです。携帯機モードで遊ぶとグラフィックが細かすぎて見づらいソフトや、処理を軽減するために映像がガビガビのジャギジャギになってしまうソフトがSwitchにはたくさんありますが、本作ではそのようなことはありませんでした。ただ、その為に画面に映っている海の奥の奥のほうまで描写されることはありません。実際の海はそんな感じなのでしょうか。これを書いていて気が付きましたが、どの海もすべて水質が同じというのもちょっと物足りない感じがします。

ゲーム性は皆無

本作を遊び始めて10時間くらいは自由に泳ぎ回って魚図鑑を埋めるのが楽しかったのですが、そのあたりからゲームとして限界を感じ始めました。

本作にゲーム性は皆無です。

  • 競争要素無し
  • 駆け引き要素無し
  • 成長要素無し

競争要素とは、「誰かに勝った負けた」を楽しむ要素です。そういったものはこのソフトにはありません。これについては海をのんびり泳ぐ作品なので特に問題ありません。ただ、オンラインプレイのおまけモードで何かしら用意されていてもいいのではないでしょうか。

駆け引き要素とは、「リスクを冒して良い結果が得られるかどうか」を楽しむ要素です。本作は酸素ボンベの概念が無いのでなんの工夫をせずともどこまでも遠く、どこまでも深く泳ぐことができます。達成感無しです。また、サメなどの狂暴な魚も攻撃してこないのでなんのスリルも感じることなく魚図鑑に登録できます。

成長要素は、「プレイヤーの技量もしくはキャラクターのステータスの上昇」を楽しむ要素です。駆け引きでも書いた通り、このソフトには酸素ボンベの概念がありません。性能のいいボンベを手に入れる喜びはありません。フィン(足につけるヒレ)を改良して泳ぐスピードを上げるということもありません。泳ぎ方に上手い下手も無いので、何も考える必要がありません

自動生成マップがつまらない

本作では毎回新しいマップが自動生成されるので、何度も新鮮な気持ちで海を泳げるという触れ込みになっていますが、この自動生成マップがお世辞にもおもしろいとは言えません。マップはいくつかのパーツの組み合わせでしかありません

  • 浅瀬
  • 少し深いところ
  • 真っ暗な深海
  • サンゴ礁
  • やけに長い海藻
  • やや入り組んだ地形
  • 深海へと続く長い一本の洞窟(細い・太い)
  • 沈没船(中には特に何も無い)
  • 海底遺跡(中には特に何も無い)

これらの組み合わせなので、遊んでいるうちにすぐに新鮮さは感じられなくなります。どこかで見たような海ばかりになります。

魚図鑑ゲーなのに生態系はグチャグチャ

本作には海水魚や水生哺乳類(クジラ、イルカ、シャチ等)だけでなく淡水魚や古代魚、架空生物が登場し、図鑑で割と詳しい説明を読むことができます。図鑑の説明は音声で再生することもできます。

図鑑の内容はおもしろくて名前を聞いたことのある魚の豆知識を知るのは楽しめました。私がこのソフトで得たお気に入りの豆知識は「キングサーモンは通称マスノスケ」です

図鑑の解説は基本的に真面目な内容になっていますが、その割に淡水魚が海を泳いでいたり、さほど特殊なエリアでもないのに古代魚が泳いでいたりするので、魚に詳しくない人でも違和感を覚える作りになっています。こんなことをするよりも、海のマップ、川のマップ、古代のマップとマップを何種類か用意してそれぞれの雰囲気の違いを大きく出してくれたほうが長く楽しめたはずです。

簡単に到達できるエリアに架空生物が泳いでいるのも雰囲気を壊していますし特別感がありません。図鑑を見ても、完全な架空生物なのか、本当にそういう伝説があるのか、イマイチハッキリしない為、どう受け止めるのが正解なのかわかりづらくなっています。

海から顔を出すことすらできない

本作はゲーム開始時点で海の中から始まり、ゲーム中はずっと海の中に潜っています。酸素ボンベの概念すらないのでそういう作りになっているのでしょう。海面近くまで泳ぐと謎の壁に頭をぶつけます。非常に不自然です。海の外があるからこそ海に潜っているという実感が増すのではないでしょうか?海の中を泳ぐよりも速く移動できる船に乗ったり、陸に上がって海辺の鳥を見たりしたいというのが本音ですが、このソフトにそこまで期待しません。海面から顔ぐらいは出させてほしかったです。

まとめ

ほとんど不満しか書いていませんね。だってそうなんだもん(笑)

だいたい20時間弱遊んでブックオフに持っていきました。この時の買取価格は3300円でした。20時間弱は楽しませてくれたので40点とします。

アマゾンのレビューやX(旧Twitter)上の感想を見ると、前作を遊んだファンの人達がガッカリしているようですが、シリーズ初体験の自分としてもさほど期待はしていなかったにせよ早めに見切りをつける結果となりました。

販売元が任天堂だからといってあまり信用できませんね…。

ただ、グラフィックは綺麗ですし、のんびり遊んでるので、魚好きな小さなお子さんでも楽しく遊べると思います。

 

最後までお読みいただきいただきありがとうございました。

【レビュー/60点】『猿の惑星/キングダム』前半は退屈だが終盤で次回作が待ち遠しくなる!

本記事は『猿の惑星/キングダム』のレビュー、感想となります。

!!!ちょっとネタバレを含みます!!!
前半は退屈に感じましたが、終盤の展開によって次回先が楽しみになる作品でした。
猿の惑星』シリーズに特別な思い入れの無い私としては、100点満点中60点の評価となります。

https://lumiere-a.akamaihd.net/v1/images/kingdom-apes_honposter_daihit_fd767d8a.jpeg

www.20thcenturystudios.jp

 

作品情報

監督:ウェス・ボール
配給:ディズニー
公開:2024年5月10日
作品時間:145分

簡単なあらすじ(導入から前半終わり)

伝説のエイプ シーザーの時代から300年が経ち、人間の文明は衰退しました。
エイプの一族イーグル族は平和に暮らしていました。イーグル族は鷲を飼いならして共に生活しています。
一族の若者ノアは儀式の為に鷲の卵を探していましたが、その道中で人間と接触、さらには別のエイプの部族がイーグル族の村を襲うきっかけを作ってしまいます。
村は焼かれ、仲間は連れ去られてしまいました。責任を感じたノアは仲間を連れ戻すために旅に出ます。
旅の途中でノアはオランウータンのラカに出会います。ラカはシーザーの教えを受け継いできたエイプです。
ノアはラカからシーザーの教えを聞き今まで知らなかったこの世界の姿を知ります。
ノアが以前出会った人間の女がノアの後をつけてきました。
ノアは人間を追い払おうとしますが、ラカはこの人間の女に「ノヴァ」と名付け、「シーザーの導きかもしれない」として3人で旅に出るようにノアを説得しました。
3人は旅の途中で知能が退化した人間の群れを見つけました。
ノヴァは人間と一緒に暮らすべきと考えたノアはノヴァをラカに託して旅を続けようとしました。
そこにイーグル族の村を襲ったエイプの集団が現れて人間の群れを襲いました。
その集団はノヴァを探しているようでした。
異変に気が付いたノアはノヴァとラカを救いました。この時ノヴァが言葉を発しました。
ノヴァが言葉を使えることを黙っていた為ノアはノヴァを不審に思いました。
ノヴァは謝罪し、本当の名前はメイであると話しました。
3人は大きな川にかかった橋を渡ろうとした時にもう一度襲われてしまいます。
ノアとメイは謎の集団に捕らえられ、ラカは川に流されてしまいました。
ノアが目覚めるとそこはプロキシマス・シーザーと名乗るエイプの王が君臨する王国でした。
プロキシマスは人間が残した技術を手に入れて王国をさらに強大にしようと考えていました。

退屈で重苦しい導入は×

物語の導入から前半部分を文字に起こしました。
展開としても映像としても退屈に感じてしまいました。
展開としては、要はノアがイーグル族の村から旅に出ればいい訳ですが、そこに至るまでの過程がノアにとって非常に辛いものであり、見ていてとても重苦しい気持ちになります。
この手のいろいろと背負ってしまう主人公というのは、個人的にかなり食傷気味で、もう勘弁してくれという気持ちです。
背負うにしても序盤に一気に背負わせるのではなく物語のアクセントとして中盤に持ってきてほしく思います。
別に村が襲われなくてもいいじゃないかと思うのです。この旅自体が部族にとっての儀式というような設定にしてワクワクする旅立ちを描いたり、何か使命を背負って村の仲間に見送られたりしても(『もののけ姫』みたいですね (^ ^;))本作の話の核の部分は変わらないと思います。
映像としても、映画開始冒頭からノアが儀式に使う鷲の卵を野生の鷲から拝借する為に森の中を探索する中で無茶をして一歩間違えば命を落としてしまうようなスリリングな描写がされるものの、見ている側としては特に説明もなくいきなり命知らずな行動を見せつけられるのであまり感情移入できませんでした。ただの食料を探しているのかしらと思ったらだいじな儀式に使うということで、納得しましたけども、今思えば飼っている鷲を繁殖したらいいじゃないか(笑)という気もします。
そんな導入を経てノアが村を出て聡明なオランウータンに出会うまでに40分くらいは使っていたと思います。長く感じました。

次回作が気になって仕方ない終盤は○

後半はなんやかんやあってノアとメイ、仲間のエイプが協力し合ってプロキシマスに対抗し、メイの秘密も明かされますが、ノアは人間に対する疑念を強く持つようになります。
この「なんやかんや」の部分は非常にエキサイティングで楽しめるものでした。

  • ラカから教えてもらったシーザーの想いとプロキシマスの思想の間で葛藤するノア
  • メイが隠している本当の目的
  • たくましく立ち上がるノアの雄姿

これらの要素が絡み合って、見応えのあるものでした。
しかし、終盤にも取ってつけたようにスリリングなシークエンスがあり、いい加減にしろと思うところもありましたが、これは前半からの積み重ねによるもので、映像としては迫力があり良いものでした。ここまで来たらとっととラストにつなげてくれとは思いましたが…。
ラストで広げられる風呂敷は今後の壮大な展開を予感させるもので、次回作が待ち遠しくなったので、最終的な印象としては悪い映画ではありませんでした。

宣伝で目立っているプロキシマスは魅力が弱い△

ノアの村を襲い、ノアとメイを捕らえるボス猿プロキシマスはシーザーの言葉を歪曲して他のエイプを従えて王国を築いています。人間の技術を手に入れて人間に対抗するという考え方は本作にシリアスな空気をもたらしますが、そのやり口は非常に乱暴なもので「所詮はおサル」というようなキャラクターになってしまっています。
もっとカリスマ性を感じるような賢明なキャラクターにしていればノアの葛藤も深みを増したのではないでしょうか。
そもそも本作における悪、エイプにとっての脅威は人間なのでどうしてもプロキシマスはその前座、小物のような印象を受けました。
そのプロキシマスを映画ポスターでメインに据えたり、題名に「キングダム」の文言を盛り込んだりするのはミスリード、もっと言えば肩透かしでしかありませんでした。
もう少し序盤からプロキシマスを登場させてエイプ側のダブル主人公としてノアと対等な関係にあるエイプとして描くなどやりようがあったと思いますが、実際は中盤にぽっと出てきた猿山の大将になっていました。

VFXは素晴らしいが、結局はサル

本作のVFXは非常に美しく、エイプ達はかなりリアルなチンパンジーやゴリラの姿をしていますが各キャラクターの顔の見分けをつけることができました。
しかし、そのせいもあって見るからにサルの彼等が流暢に言葉を話している姿に違和感を覚える部分もありました。第1作の『猿の惑星』に出てくるサル達の「特殊メイクの隙間から覗き込む人間の目」には、言葉を話すサルとしての説得力がありました。
また、どんなに美しいCGであってもサルはサルなので見ていて飽きてきます。サルが大好きな人には問題ないでしょう。もっといろんな装飾品をつけてエイプ達に個性を出したら楽しかったのではないでしょうか。
もっと言ってしまえば、素人目には前回のリブートシリーズの時点でサルのCGは行きつくところまで行きついているのでリアルなサルに新鮮味はありません。細かいところを見比べると印象は変わるかもしれません。

まとめ

前半は退屈で重苦しく私の好みとは異なる部分もありましたが、後半の展開はエキサイティングであり怒涛の種明かしもあって見入ってしまいました。終盤で広げられた風呂敷は次回作への期待を高めてくれます。
キャラクターの魅力は正直弱いです。特にプロキシマスが肩透かしでした。本文であまり触れませんでしたが個人的にはオランウータンのラカが好きです。次回作にも登場してほしいのは彼だけです。
本作は145分作品となっていますが、100分くらいにまとめてくれたら100点満点中80点にはなったと思います。しかし実際は次回作への期待を込めても60点くらいです。
あまり好きではない前半部分についてたくさん書いてしまいましたが、これから鑑賞に行く人に向けて「前半はこんなもんだから肩の力を抜いて観てね」と声をかけるつもりでおせっかいな気持ちで書きました(^ ^;)

最後までお読みいただきありがとうございました!

(やっぱり第1作が至高かな。)

『ゴジラ-1.0』戦争で負った心の傷を救うものは何か

※本記事には『ゴジラ-1.0』のネタバレがちょっぴり含まれますので、まだ見ていない人は先に映画を見てください。めちゃくちゃおもしろいです!

みなさん、こんにちは。

今回は人気怪獣映画ゴジラシリーズ最新作『ゴジラ-1.0』をきっかけに、戦争で負った心の傷について考えてみました。

作品の中でゴジラ(戦争で負った心の傷)に立ち向かう人々の力は知恵・勇気・愛です。

本作は第二次世界大戦終戦後のお話ですが、現代に生きる私達にも無関係なことではありません。

戦争で負った心の傷という問題に、私達は向き合えているでしょうか。

ゴジラ-1.0』基本情報

監督・脚本・VFX山崎貴

製作:東宝

公開:2023年11月3日

あらすじ

第二次世界大戦末期、特攻隊としてゼロ戦に搭乗した敷島 浩一(神木 隆之介)は、機体の故障を偽り守備隊基地が設けられた小笠原諸島に位置する大戸島に不時着します。

敷島は大戸島で未確認生物ゴジラに襲撃される。恐怖で何もできず、敷島は仲間を見殺しにしてしまいます。

東京での新しい生活が始まり、愛する人や仲間達に恵まれた敷島の心は次第に回復していきますが、それでも度々大戸島での悲惨の光景を思い出し、敷島は終戦後も深い自責の念に苦しめられ続けます。

そんな生活の中でゴジラは再び敷島の前に姿を現します。米軍の水爆実験の影響でさらに巨大化・狂暴化したゴジラに対して日本は民間人のみで組織された戦力で立ち向かいます…。

本作のゴジラが表すもの

本作においてゴジラ「戦争で負った心の傷」を表しています。

もともとゴジラというキャラクターは、1954年公開の第1作『ゴジラ』においても米軍の水爆実験によって目覚めた太古の生物です。東京に上陸し戦後復興を成し遂げようとする街を破壊します。第1作のゴジラ戦争による暴力、核兵器そのもののメタファーとして機能しています。

一方で、本作『ゴジラ-1.0』のゴジラは、圧倒的な破壊力を持った脅威としてだけでなく、敷島が抱える終戦後も癒えることのない心の傷としても描かれています。敷島の人生が軌道にのるたびに襲い掛かるゴジラ心的外傷後ストレス障害PTSD)の症状として見ることができます。作品中で自身の行動を咎められた敷島は「オレの…戦争が終わってないんです…」と口にしました。

ゴジラに対抗する人間の力

本作において人類は未知の脅威であるゴジラに対して知恵と勇気と愛によって生み出された力で立ち向かったと私は見ました。

本作の日本にはまだ自衛隊は存在せず、武力に関しては米軍から返還された旧日本軍の重巡洋艦「高雄」や駆逐艦、戦後のどさくさで残されていた局地戦闘機震電」程度しか保有していません。その中で、終戦後民間人となった元軍人達が知恵と勇気を振り絞り、愛する日本、愛する人々のために「ハズレくじ」を引いたとしても「誰かがやるしかない」とゴジラに立ち向かうワダツミ作戦を計画し決行します。

これは、第1作『ゴジラ』(1954)で描かれたオキシジェン・デストロイヤーによるゴジラ撃退とは対照的に見えます。オキシジェン・デストロイヤーや、青年科学者 芹沢 大助(平田 昭彦)によって発見された技術を利用して作られた新兵器です。この兵器は水中の酸素を一瞬のうちに破壊し尽くしあらゆる生物を窒息死させるものです。この技術が原水爆に続く新たな大量破壊兵器を生むことを憂えた芹沢は自身の研究を全て破棄し、海中のゴジラに対してオキシジェン・デストロイヤーを使用する際に自身も海の泡の中へと消えていきます。

第1作『ゴジラ』(1954)には人類に対する諦観と絶望の空気が漂っているのに対して、本作『ゴジラ-1.0』には人類に対する期待と希望を感じることができました。

現代にもゴジラは生き続け、新たに生まれている

作中では敷島の中の「終わってない」戦争はゴジラに立ち向かうことによって終わりを迎えます。

では現実はどうでしょうか。戦争で負った心の傷はゴジラのようなわかりやすい形で具現化しません。簡単に瘉えるものではないのです。心の傷が癒えぬままに亡くなっていった戦争経験者も数多くいたに違いありません。

1982年公開の『ランボー』(原題: First Blood、監督:テッド・コッチェフ)で、ベトナム戦争から帰ってきた主人公ランボーシルベスター・スタローン)は、かつての上官から「ランボー、戦争は終わったんだ」と諭されますが「いいや戦争は終わっちゃいない!!」と叫びました。

アメリカではベトナム戦争後も数々の軍事行動が行われ、PTSDで苦しむ元兵士が次々と生まれています。戦争で負った心の傷の問題は根が深いのです。今も世界中で紛争や戦争が起き、世界中に心の傷を負った兵士や民間人が増えています。

本当の「戦後」には心の救済が必要だが…

「もはや戦後ではない」(中野好夫の評論文のタイトル)という言葉がかつて日本で流行しました。これは高度経済成長による物質的な復興に限定した「戦後」です。ひとりひとりの心が救済されたことによる戦争の終わりが訪れていたとは思えません。
日本が最後に経験した戦争、先の大戦の当事者世代は年々数を減らしています。先の戦争による心の傷を負った人間はいずれいなくなり日本にもう一度「戦後」が訪れるでしょう。
現実問題として、先の大戦を経験し存命の全ての各国元兵士の心を映画の中のように癒やすことはできず、世代の入れ替わりによる先の大戦の「戦後」は確実に訪れます。その時に戦争の悲惨さを風化させない努力、それに関しては私達は力を入れていると言えます。
しかし、今も苦しんでいる人達に対して、今私達は目を向けているでしょうか。

私達はゴジラに立ち向かえるか

ゴジラ-1.0』の物語の中で人々は知恵と勇気と愛によってゴジラ(戦争で負った心の傷)に立ち向かい心の傷を癒やし「戦後」を手に入れました。

作中では戦争経験のない水島(山田 裕貴)はワダツミ作戦から外され、戦争経験者達だけで戦争とケリをつけようとします。水島は作戦終盤にかけつけピンチを救います。水島の中にある日本、そして共に生活した仲間に対する愛が知恵と勇気を生み、そして力となりました。戦場を知らない世代にもやれることはあるのです。
一方で、水島同様に戦争経験の無い現代の私達は、戦闘終了後の傷ついた人々に寄り添い「戦後」を共に築くために何ができるでしょうか。その人々に向き合う知恵・勇気・愛を持ち合わせているでしょうか。

ゴジラ-1.0』は今一度戦争について自身に問いかけるきっかけとなりました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

ニッポン放送『銀シャリのおトぎばなし』の癒しポイント

こんにちは。

本記事ではニッポン放送の『銀シャリのおトぎばなし』を紹介します。

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なぜラジオを聴く?

私はPodcastでお笑い芸人さんの番組をよく聴いています。(PodcastSpotifyで聴いています。)Podcastは街をぶらぶら歩いている時や、家の近所をウォーキングする時に聴いています。体を動かして身体をリラックスさせながら、お笑い芸人さんのトークで心もリラックスさせるのが大好きなのです。

たくさんの芸人さんのラジオ番組がある中で、個人的に一番癒されているのが吉本興業所属の漫才コンビ銀シャリ」の銀シャリのおトぎばなし』です。

銀シャリといえば橋本さんのツッコミ

銀シャリのお二人は、ツッコミの橋本さんボケの鰻さんの軽妙な漫才がウリで、特に橋本さんのツッコミが鰻さんのボケをグイグイと深掘りしていくところが他の漫才コンビには無い魅力だと私は思っています。おそらくアドリブも多いのかと思います。

ラジオでも橋本さんのツッコミは冴えていて、鰻さんのちょっとした勘違いや言い間違いを拾いまくっています。漫才のときよりも、鰻さんを注意する、たしなめるようなトーンのものが多くて初めて聴く人にはちょっとキツく聞こえるかも知れません。

ボケの鰻さんが私の癒し

このように銀シャリのお二人とそのラジオ番組について書くと、ボケの鰻さんが目立っていないように思いますが、橋本さんがバシバシつっこめるのは相方の鰻さんあってのことです。そして、この鰻さんの存在こそが、私が感じる『銀シャリのおトぎばなし』の癒しポイントなのです。

鰻さんは番組中でよく橋本さんから「今の何?」「それはあかん」「おかしなこと言うてるで」とビシビシつっこまれています。他のコンビだと「何がいけないんだよ」「お前だってなんとかだろ!」とやりあうスタイルで笑いにつなげることが多い傾向にあると感じますが、鰻さんは違います。鰻さんは橋本さんからつっこまれると、「せやねん…」「わかってんねん…」とか、最終的に「そうかあ、それはすまんかった」「ちょっと、オレようわからんねんなあ…」と着地することが多いのです。話の頭に「これオレ自信ないねんけど~」とつけてることも多い印象です。

私は鰻さんのこのような自分の間違いを認めたり弱みを見せる姿勢が好きなのです。私は社会に出てから素直に自分の非を認められない人達から嫌な思いをさせられたり、自分自身も、「悪いのは相手だ」「オレは間違ってない」と怒りを覚えてしまうことが多くなりました。そんな生活の中でこの鰻さんの姿勢は聞いていてとても落ち着くのです。「自分もこんな風にふるまえたらなあ」「誰かさんもこうやって歩み寄ってくれたらなあ」と思わされます。

ふたりの言い合いは不快にならない

こうやって書くとラジオ内で鰻さんはいつも橋本さんに言いくるめられているようになってしまいますが、そうではありません。二人のやりとりが聞いていて不快にならないのは、銀シャリの二人の関係性によるものだと思います。

鰻さんは橋本さんに対してすぐに折れてしまうわけではなく、「橋本聞いてくれ!」「オレはこう思うねん」としっかりと自分の意見も表明しているのです。それを受けて橋本さんは「それやったらわかる~!」「オレも前から思っててん」と共感を示したり、「そういうことか、すまんすまん」と謝罪したり、橋本さんにもしっかりと引く姿勢があるのです。

たまに「それならそれを先に言わんと」「(話が)下手やな」と追い打ちをかけることもありますが…(笑)。そこがまたおもしろい。

まとめ

率直にお互いを指摘したり反省したりする姿勢が、私たちの家族、友人、ビジネスの関係にも必要だなと感じさせられます。遠慮気味な自分はちょっとできていないな…。

そんな人間関係について考えさせられるラジオ番組『銀シャリのおトぎばなし』、みなさんもお散歩しながら身も心もデトックスしながら是非お聞きくださいませ!!

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