江ノ本のつれづれblog

映画やゲームのレビュー・感想を中心に書いていきます。

『Ultraman : Rising』日本描写がリアル!アメリカ生まれのイクメンウルトラマン

こんにちは。

今回は2024年6月14日にNteflixで配信されたばかりのアニメーション作品Ultraman : Rising』(以下『Rising』)を紹介します。

言わずと知れた日本のヒーロー、円谷プロが生み出したウルトラマンですけども、今作はアメリカのスタジオで制作されたウルトラマンとなります。一体どんなウルトラマンなのか、その見所と一緒に紹介していきますね。

https://m-78.jp/wp-content/uploads/2024/03/RISING_Still_05_RGB.jpg

(引用:Ultraman: Rising (ウルトラマン: ライジング) – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト

基本情報

監督: シャノン・ティンドル

共同監督: ジョン・アオシマ

脚本: シャノン・ティンドル、マーク・ヘイムズ

プロデューサー: トム・ノット、リサ・プール

日本語吹替え版キャスト:山田裕貴(サトウ・ケン)、小日向文世(サトウ教授)、早見あかり(ワキタ・アミ)、立木文彦(オンダ博士)、恒松あゆみ(ミナ)、桜井浩子(アミの母親)、青柳尊哉(アオシマ隊員) ほか

オリジナルソング:Diplo、オリバー・ツリー、アリシア・クレティ

制作:インダストリアル・ライト&マジック(ILM

(引用:Ultraman: Rising (ウルトラマン: ライジング) – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト

アメリカで生まれた”日本の”ウルトラマン

記事の冒頭でも触れましたが、今作はアメリカのスタジオが制作しましたウルトラマンといえば日本の特撮映画の父、円谷英二さんが立ち上げた円谷プロが生んだ日本を代表するヒーローであり、空想特撮シリーズとして長年日本人に親しまれてきた存在ですね。そのウルトラマンアメリカのスタジオが制作してNetflixで配信するというのは非常に今風な感じがします。

日本のウルトラマンは過去に制作されたシリーズも海外に輸出されて様々な地域のテレビで放送されてきました。特にタイや中国といったアジアの国々で高い人気を得ています。また、メキシコ出身の映画監督ギレルモ・デル・トロは子供の頃にテレビで『ウルトラQ』(1965)や『ウルトラマン』(1966)を観て育ったそうなんですね。テレビの怪獣番組として子供達に人気というだけでなく、クリエイター達に影響を与える、そういうシリーズでもあるわけです。

そんなウルトラマンアメリカのスタジオで制作されるということで、ちょっぴり不安に思う人もいるかもしれません。「外国人の手に渡って全く別物になってしまうんじゃないか」、「ヘンテコなウルトラマンだったらガッカリだな」、「小さい子供に見せたいけど大丈夫かな」なんてことを思うんじゃないでしょうか。1998年公開の『GODZILLA』(監督:ローランド・エメリッヒ)、今見返せば当時の日本では到底作れないモンスター映画として魅力的ですけども、当時「これはゴジラじゃない!」と思った、あの記憶が私にもありますから、『Rising』の制作発表を聞いた時は不安を感じました。

しかし、みなさんご安心ください。『Rising』は紛れもなく日本のウルトラマンです。

丁寧な日本描写で”空想特撮”の精神を継承

『Rising』の主人公はサトウ・ケンという日本人です。彼は日本生まれのプロ野球選手で、シーズン途中でロサンゼルス・ドジャースから読売ジャイアンツに移籍してきます。幼少期を日本で過ごした彼はテレビの野球中継で松井秀喜のプレイに夢中になります。日本球界に戻る際の記者会見では大谷翔平の名を口に出します。作品の中で彼は東京ヤクルトスワローズと対戦します。その他、阪神タイガースイチローといったワードも登場します。

このような実在する個人や団体の名前が作中に登場することはウルトラシリーズでは非常に珍しいことです。初めての試みと言ってもいいでしょう。これによって作品の世界と私達が今生きている世界とが同じ世界であるという印象を強く与えています。

日本に戻ってきたケンはウルトラマンに変身して怪獣と戦うわけですが、その舞台となる日本の街並は忠実に現代の日本を再現しています。立ち並ぶビルはニューヨークのものではありません、輝かしい街の灯りは香港のものではありません、紛れもなく日本のものです。ハッキリと映像として明言されませんが、あれはあのコンビニだな、あの広告はこういう業種だな、日本人ならすぐにわかります。いわゆる「トンデモ日本」ではないのです。

風景を「トンデモ日本」にしないことで、日常に突如怪獣が現れる、どこからか巨大なヒーローがやってくるという非日常感、日常の中にアンバランスを生むというウルトラシリーズ初期から続く”空想特撮”としての魅力、哲学が『Rising』には確かに継承されています。日本が舞台ですから私達日本人には特に感じやすいし、日本に旅行で来たことがある外国人もリアリティを感じられるはず、それくらい日本の景観、特に都市の雰囲気を上手に描いています。

ウルトラマンの使命は”調和”をもたらすこと

今作の主人公サトウ・ケンは冒頭で「ウルトラマンは”調和”をもたらすための存在である」と語ります。この”調和”とはなんでしょうか。怪獣や宇宙人を退治して地球の平和を守ることでしょうか。その答えは作品を見始めた私達、そしてケン自身にもまだわかっていません。

『Rising』のウルトラマンは、彼自身も”調和”を必要とします。ウルトラマンといえば地球上の太陽エネルギーでは3分間しか活動できない、あるいは戦闘でエネルギーを著しく消費すると変身が解けてしまうというのがお決まりの設定ですが、今作のウルトラマン精神的なストレスで心が乱れると活動限界が訪れるという設定になっています。つまりウルトラマンに必要な”調和”は”心の調和”です。

制作陣が思う「ウルトラマンとして世界にもたらすべき”調和”」のヒントがこの設定に込められていることは本編を観れば次第にわかってくるでしょう。

赤ちゃん怪獣の世話を通して成長するケン

主人公ケンは様々な問題を抱えています。彼の家族関係、ウルトラマンとして果たさなければならない責任、成り行きで保護することになった怪獣の赤ん坊の世話、プロ野球選手として求められる結果、様々なものに彼は苦しめられます。特に父との関係は彼にとって大きな問題であり、彼の人格に大きく影響しています。

そんな苦しみの中で得た出会い、発見、和解、協力が彼を変えていきます。特に彼に大きな影響を与えたのは赤ちゃん怪獣エミの存在です。しぶしぶエミを育てる中で疲れ果てた彼は本来の自分を見失います。彼は仕事で知り合った記者ワキタ・アミを頼ります。彼女は一人で子供を育てるシングルマザーとしてケンをサポートし、スターではなく一人の人間としてケンに寄り添います。アミの言葉は幼少期の自分と父との関係を考えるきっかけをケンに与えてくれます。

彼は自分が本当に望んでいたものは何なのか、自分の心と向き合っていきます。そしてウルトラマンとしてなすべきことは何なのか、見つめ直すことになります。

本編冒頭でケンは「(ウルトラマンとして”調和”をもたらす)その大変さは”自分の番”になって初めてわかった」と語ります。これは一体何を意味するのでしょうか。その答えはストーリーの中で語られます。

家族の再生を”ウルトラマンで”描く

終盤が近づくにつれケンと父親の関係に変化が現れます。ケンとケンの父親、そして赤ちゃん怪獣エミによって不思議な家族が構築されていきます。

一方で、怪獣防衛隊KDFのオンダ博士はこの世界から怪獣を根絶するために赤ちゃん怪獣エミを利用した作戦の計画を着々と進めていきます。オンダ博士が怪獣退治に命をかける理由とはなんでしょうか

ケン達とオンダ博士の決戦を描くクライマックスの中のある展開は「日本をよく理解したアメリカのアニメーション」という本編前半の印象を大きく超えるものです。しかし、同時にそれは荒唐無稽な展開や観客を裏切るようなものではなく、ウルトラマンというキャラクターの特徴と歴史を汲んだものとなっています。

ウルトラマンという題材で家族を描くとき、何が起きるか。是非本編をご覧になってご確認ください。

まとめ

『Rising』に対して視聴前に抱いていた不安は杞憂に終わりました。

アメリカで生まれた今作は現実の日本の風景を忠実に描いています。家族の問題と人間の成長というテーマは全世界の幅広い年齢層に受け入れられるでしょう。

日本人と共に育ってきたウルトラマンを理解した上で作り上げられたことが、今作の映像と脚本から伝わってきます。

是非是非、みなさんにご覧いただきたい『Ultraman : Rising』はNetflixで独占配信中です。

どうぞお楽しみくださいね。

www.netflix.com

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

【レビュー/60点】『マン・オブ・スティール』コレだいたいドラゴンボールだ。1時間半我慢すれば圧巻の戦闘シーンが待っている!

こんにちは。

気まぐれで2013年公開作品『マン・オブ・スティール』(Man of Steel)を観たのでレビュー。

私は『スーパーマン』シリーズやアメコミにそこまで馴染みはないのだが、『ドラゴンボール』との類似点を見出してすんなり入っていけた。迫力の戦闘シーンにも大満足。

しかし、映画全体の構成が受け入れられず。

100点満点中60点くらいかな。

もう10年以上前の作品だけど、ネタバレされたくない人はご注意。

基本情報

監督:ザック・スナイダー

脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー

原案:デヴィッド・S・ゴイヤークリストファー・ノーラン

原作:DCコミックス

配給:ワーナー・ブラザース

公開:2013年

上映時間:143分

設定も戦闘もドラゴンボールみたいだ

ドラゴンボール』好きな人に『マン・オブ・スティール』をおすすめしたい。

『マン・オブ・スティールは』だいたい『ドラゴンボール』だ。日本生まれ日本育ちの30代40代の人ならピンとくると思う。まず設定から見てみてほしい。

  • よその惑星を植民地にするクリプトン人⇒よその惑星の住民を殺して売りに出すサイヤ人
  • クリプトン星は惑星のエネルギーが枯渇して滅亡する⇒サイヤ人の母星惑星ベジータフリーザの襲撃によって滅亡する
  • 滅亡寸前の母星から両親の希望を背負って送り出されるカル=エル(スーパーマン)(ヘンリー・カヴィル)⇒滅亡寸前の母星から父バーダックの希望を背負って送り出されるカカロット孫悟空
  • カル=エルは地球の父の教えを守って本当の力を隠して生きる⇒孫悟空は地球の育ての親の教えを守って満月を見ないように生きる(巨大な猿にならないようにしている)
  • クリプトン人は宇宙のどこかに生きているカル=エルを探して地球にたどり着く⇒サイヤ人は宇宙のどこかに生きている孫悟空を探して地球にたどり着く
  • カル=エルは育ての父によって感覚を制御する力を身に着ける⇒孫悟空亀仙人のもとで修業することで気のコントロールを身に着ける
  • クリプトン人のゾッド将軍(マイケル・シャノン)は生まれてからずっと訓練を積んでいて、地球でのほほんと暮らしていたカル=エルに負けるはずがないと自負している⇒サイヤ人の王子ベジータは天才である自分が下級戦士の孫悟空に負けるはずはないと自負している
  • ゾッド将軍はカル=エルが身に着けている感覚制御の能力を持っていないため予想外に苦戦する⇒ベジータは地球人が使う急激な戦闘力のコントロールができないため予想外に苦戦する

ほら、『ドラゴンボール』でしょう。私はアメリカンコミックに明るくないのでDCコミックスの『スーパーマン』シリーズの設定がそもそもここまで『ドラゴンボール』に近い形で構築されてきた歴史があるのかはちょっとわからない。だからどっちが先かはわからないが、おそらく鳥山明がアメコミ好きであることからも『スーパーマン』が鳥山明に影響を与えたものと思う。

https://lineup.toei-anim.co.jp/upload/save_image/episode/5203/story_img_1.jpg

(引用:第 105 話 三人のスッパマン - Dr.スランプ アラレちゃん - 作品ラインナップ - 東映アニメーション

これらの類似点のおかげで私は本作に思いの外すんなりと入っていくことができた。アメリカ人に長年愛されてきた歴史がある題材なので日本人としては距離を感じてしまうかも知れないが、そこは心配せずに観ることができる。さすがアメリカ、普遍的にウケる要素で固めている。それを日本のバトル漫画としてうまく落とし込んだ『ドラゴンボール』が世界中でウケているのも納得だ。

とはいえ、設定が『ドラゴンボール』に似てるからといって「そいつはおもしろそうだ!」と思う人はそこまでいないだろう。『ドラゴンボール』の設定のおもしろさは、連載開始当初に想定していなかったであろう設定を巧妙に後付けしてなんでもありの世界を作り上げた点にある。バトル漫画に振り切った後の『ドラゴンボール』の魅力といえば、やはり鳥山明の漫画力とアニメスタッフの尽力による迫力の戦闘シーンにある。

そんなドラゴンボール』のような戦闘シーンを本作『マン・オブ・スティール』も私達に提供してくれる。だから私は『ドラゴンボール』好きに『マン・オブ・スティール』をおすすめしたい。

ドラゴンボール』のかめはめ波のようなエネルギー弾の撃ち合いは少な目(一応クリプトン人は目からビームを撃てる)だが、空を飛び、ものすごいスピードで動いて、相手を殴り蹴り、とてつもなく重い一撃を喰らわせる戦闘はまさしく『ドラゴンボール』である。殴られたスーパーマンも敵のクリプトン人も新宿から渋谷くらいの距離を吹っ飛ばされて地面や建造物に叩きつけられるがピンピンしているのもまさしく『ドラゴンボール』である。クリプトン人が地球人の銃撃やミサイルを喰らってもピンピンしているのも(略)。

基本的に殴る蹴るだけの戦闘なので、『スパイダーマン』や『アイアンマン』のような自身が持つギミックをあれこれ披露したり機転の利いた作戦で相手をやりこめたりするようなおもしろみは無いのだが、人間離れした超人同士がぶつかり合う映像はシンプルな強さを楽しむことができる。超人的な力がぶつかり合うことによる市街地への甚大な被害も描かれている。これについてやりすぎているという声もあるが、正直言ってこの破壊描写が無ければこの映画におけるクリプトン人同士の戦闘シーンの魅力はほとんどなくなるだろう。これだけの破壊描写を根気強く映像化したスタッフには頭が下がる。鳥山明は作画コストを下げるために戦闘シーンになると舞台を変えていた。週刊連載じゃなかったらもっと違う漫画になっていたかも知れない。

また、クリプトン人に比べるとどうしようもなく無力な地球人がスーパーマンと協力して活躍するというのも『ドラゴンボール』的である。というよりも、鳥山明が描くストーリーはそのままハリウッド大作映画にもっていけるようなグッとくる要素がちりばめられていると言える。『マン・オブ・スティール』では、最初は主人公と対立したり足を引っ張っていたような登場人物がここぞというところで粋な活躍を見せるという展開がある。これは『ドラゴンボール』で言えばヤジロベーやミスターサタンを思い起こさせる。『マン・オブ・スティール』ではアメリカ人が意外と大好きな自己犠牲的な見せ場のためにその手の登場人物が命を落としてしまうのでちょっと寂しい気持ちになる。

本作の登場人物をそのまま孫悟空やブルマ、ベジータにして実写版『ドラゴンボール』として公開してくれたらアメリカ人が『ドラゴンボール』を実写にしたらこうなるよね、これはこれでちゃんと『ドラゴンボール』してるね、という感じでおそらく世界中から絶賛されたのではないだろうか

圧巻の戦闘シーンまで映画開始から1時間半を要する

そんなこんなで『ドラゴンボール』みたいでおもしろいなあと楽しんだ『マン・オブ・スティール』ではあるが、本作が『ドラゴンボール』みたいにおもしろくなるまでに映画開始からおよそ1時間半が経っていた

これは問題である。スーパーマン孫悟空のように戦い始めるまでの1時間半の間に何が描かれていたかといえば、クリプトン星の内輪揉め、カル=エルの幼少期の苦悩、現在のカル=エルの葛藤、女ジャーナリストによる南極で発掘された謎の遺跡の取材と謎の人物カル=エルの調査である。映像としてやけに尺を取っているくせにやたらとセリフで各種設定を説明している。そんなにカル=エルの身の上について「実はお前は~」とセリフで説明してくれるならそれを活かす構成にすればよかったのに。

クリプトン人の母星での内輪揉めに20分くらい映像を割いているのだが、ここが一番蛇足に思えた。掘り下げたい気持ちもわかるのだが、スーパーマンのおもしろみは私達の地球で超人的な戦闘が行われるところにあるのだから、よその星のよその住人同士の喧嘩は正直いらなかった

地球でのカル=エルの境遇を描くことでカル=エルの精神的な救済を強調したかったのだろうが、アイデンティティの問題や育ての父との死別などいろいろと背負いすぎているし何十分も苦悩している時間が続くので観ていて気が滅入る。ある程度スーパーマンとしての活躍が市井の人々に受け入れられている設定にすればゾッド将軍達が地球に来訪したときの世論が割れる展開や報道機関に勤めるロイスや編集部の人達の見せ場も作れたりしたんじゃないだろうか。あまり身近な存在にしてしまうと『スパイダーマン』との差別化ができないかも知れないが、展開のシェイプアップと構成の工夫をしてほしかった

まとめ

後半50分ほどのほとんど休憩無しの戦闘がめちゃめちゃ激しくて大満足

映画全体のトーンは暗いが、超人的戦闘による破壊描写とカル・エルのいいやつ感を引き立てている。

最後の「こうしてカル=エルはクラーク・ケントとして新聞記者になりました」というオチも綺麗で視聴後の余韻も良い

他に言及するとすれば、ロイス役のエイミー・アダムスが勇気ある女性をチャーミングに演じていてGOOD。正直、前半の見所はロイスしか無い。ロイスのおかげで前半を乗り切れた。編集部のみんなも助かってよかった。総じてクリプトン人のおかげで地球人側の善性が際立っている。これはおそらく西欧人の自虐であろう。

pin.it

これで前半がすっきりして全体で110分くらいにまとまっていたら、80点。そうじゃないので60点かな

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

Amazon Prime Videoで視聴可能。

円盤はこちら。

 

【レビュー/40点】『マッドマックス:フュリオサ』前作を期待するならスルー推奨。フュリオサのママがピークか?

『マッドマックス:フュリオサ』(原題:Furiosa: A Mad Max Saga)を観てきました。

レビュー・感想を書いていきます。

ネタバレされたくない人はご注意ください。

 

本作は前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(原題:Mad Max: Fury Road)を期待している方はスルー推奨です(^^;

点数をつけるとすれば100点満点中40点とさせていただきます。

私は前作のノリを期待して鑑賞し、テイストの違う本作に終わりまでハマれなかったのでこの点数としました。

https://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuriosa/img/news/news_thumb_240329.jpg

wwws.warnerbros.co.jp

前作のカラッとした雰囲気は存在しない

前作の持ち味だったバカバカしく大胆な雰囲気とは打って変わって、本作は陰鬱な雰囲気をまとっており、グロテスクな描写も前作よりも陰惨なものになっています

フュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)の前日譚として復讐部分にひたすら焦点を当てているので重苦しい雰囲気にするというのもわかりますが、前作の中心物フュリオサのスピンオフ作品として私が求めている物とはズレがありました

フュリオサの辛く悲しい生い立ちの中で彼女があっけらかんとしていないのは当然のことです。それにしても中盤になるまで彼女の味方となる人物が誰一人登場しないというのは、観ているこちらとしては彼女に同情してしまうのと同時に、いつになったらフュリオサは反転攻勢に出るのだろうとストレスを感じました。

もっとスピードが欲しくなるアクション

アクションはスピード感よりもスリル感を増したものに変化し、前作を爽快寄りとすると、本作はハラハラとしたシーンの連続で息が詰まるような展開が中心となります。

改造カーやバイクによるチェイスシーンは本作でも健在で、砂漠の中を人間達が激しく暴れまわりますが、カメラのアングルやシチュエーションのせいでしょうか、スピードを感じられません

前作が改造カーやバイクのエンジンを相手が吹かしたらこっちはもっと吹かすぜ!そして無鉄砲なやり方で相手を殺すぜ!という勢い重視のチェイスでした。それとは違うことをやろうとしたのでしょうが、本作のディメンタス(クリス・ヘムズワース)が率いる軍団の戦術は少々小賢しくチマチマとしたものに見えます。

彼らは上下左右から様々な手で攻めてきますので、その多彩さを楽しむことができますし、しつこさは前作のイモータン・ジョー(ラッキー・ヒューム)とウォーボーイズの軍団よりも脅威に感じました。しかし暴力性に圧倒されるというよりはその執拗さに苛立たされる映像となっています。思うに、これは音楽面での演出が原因です。前作のイケイケノリノリな音楽と比べると本作は緊張感を高める曲が多用されるため、ディメンタス軍団のしぶとさはホラー要素を持つモンスター映画を思い出させますターミネーターやエイリアンならばそれもいいのですが、ディメンタス軍団はキャラが弱いのでアクションシーンが盛り上がりません

主人公フュリオサのアクションは一歩間違えば死と隣り合わせの状況でじっと耐えたり危険な状況で作業をしたり遠距離狙撃したりと活躍はしますが、むしろ彼女の母親メリー・ジャバサ(チャーリー・フレイザーのほうが颯爽と馬にまたがり敵を追いかけまわしては撃ち抜き叩き切りと爽快な仕上がりとなっていて、主役を食っている始末です。メリーの相棒も集落を守る頼れる女として短い登場時間の中で活躍しキャラが立っており、メリーとこの相棒による冒頭のアクションシーンが本作のクライマックスである可能性は高いです…。

そのフュリオサママの活躍を描くために入れられた子どもフュリオサのやらかしも、ただ迂闊なだけでしかなくて、何この映画という気持ちが冒頭から出てきてしまいました(^ ^;

冗長な展開が余計に長く感じる148分

ストーリー展開はディメンタス軍団とイモータン・ジョー軍団の大乱闘を期待させますが、あくまでもフュリオサのディメンタスに対する復讐にフォーカスを当てたものになっています。フュリオサの前日譚ということを考えれば軸がぶれなかったと言えますが、悪く言えば観客に対して肩透かしを覚えさせてこじんまりした印象を与えます

フュリオサが彼女の母と共に悲劇に見舞われ囚われの身となってからイモータン・ジョーの軍団の中で頭角を現し女戦士としてディメンタスへの復讐を果たそうとする流れは丁寧に描かれていますが、もう少しすっきりとした展開に落とし込んでほしいところです。

フュリオサの母の仇であるディメンタスの行方もストーリー中盤あたりで一時すっぽりと抜けてしまっていて、何をどの程度描いておくべきかというバランス感覚に欠けています。ディメンタスが砂漠の世界のいくつかの拠点を手中に収めますが、それも「いつの間にか」という見え方になっていて、そういえばこの男に対して復讐する物語だったなと思い出しながら観ていました。

イモータン・ジョー軍団の砦で一般ウォーボーイズとして生活するようになったフュリオサは自身が女であることを隠しているため、砦の中では目立たぬように振舞います。そんな彼女が外の世界に足を踏み出すきっかけとなる任務が物語の都合で用意され、彼女に理解を示す登場人物として警備隊長ジャック(トム・バーク)が登場します。彼女の素性が隠されたまま彼女を活躍させねばならないためにジャックのようなワンクッションを要しており、これも展開を冗長に見せます

そのくせ、フュリオサとジャックの別れは意外なほどにドライな描かれ方をしていました。別に湿っぽくお涙頂戴にすべきとは思いませんが、ジャックという男は本作の中でもタフなナイスガイだったのでもっと救われてほしいという気持ちがもやもやと心に残っています。

また、本作を冗長に見せる特徴のひとつとして、これから盛り上がりそうな展開になったところで場面転換を挿し込むというものがあります。デデデデデン!♪という音楽と共に画面が真っ暗になる箇所が2回ほどあり、大変盛り下がりました。ここでもうひと押ししてスッキリする着地を見せてくれよと思い、あくびが出ました

本作は2時間オーバーとボリュームたっぷりの作品です。ボリュームがあるのはいいのですが、上記のような冗長に感じる要素のせいでこれに2時間以上かける必要あるのか?と首をかしげてしまう作品になっていました。

力不足なディメンタス

物語を盛り上げる悪役としてディメンタスは魅力に欠けていました。

フュリオサが復讐心を燃やす相手としては小物に映っています。仲間を引き連れているものの強大な拠点を築くわけでもなく、敵の実力を見誤る軽率な略奪行為を働く彼は放っておけば自滅しそうな存在に見えます。また、最後の最後でこの男は長々と演説をしますが、その内容も「復讐してなんになる!」「お前もオレと同じだ!」というようなもので、今さら映画でそんなことを言われても我々観客はどうすればいいというのでしょうか

これらのキャラクター描写によって、今レビューを書いている私の心には「本当にこの男は復讐するに値する人間だったのだろうか?」という疑念が生まれましたが、鑑賞中は「とっとと『ロボコップ』の悪役みたいに四肢爆散してくれないかなあ」と思っていました。

作中でディメンタスが仲間に呼びかける途中で「飽きた…」とぽろりとこぼすのですが、私は心の中で「オレもフュリオサの母ちゃんが出てこなくなってから結構飽きてるよおお!!」と思いました。

結局ディメンタスはイモータン・ジョーのカリスマ性を引き立てるだけの存在に終わっていて残念です。先述したように軍団同士の合戦もありませんし、彼の見せ場は惨いリンチ行為と仲間を利用した卑怯な逃走、最後の演説くらいでしょうか。こういう小物系悪党の頭が最近の流行りなのでしょうか?私は『ゴジラxコング』のボス猿スカーキングもあまり好きではありません。ここ数ヶ月でそんな悪役に二人も遭遇してしまいました。

まとめ

『マッドマックス:フュリオサ』は前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が好みな私としては満足のいかない作品でした。

前作は最低限の状況説明とアクションシーンとのメリハリが効いていて、魅力的なキャラクターと勢い重視の展開がありましたが、本作はそれらに欠けた作風となっているため、前作のノリを期待する方は映画館で観なくてもいいと、私は思っています。

また、付け加えるならば、前作に深みを与えていたフェミニズム論、ジェンダー論に基づいたテーマ性も本作では鳴りを潜めています。個人的にはメッセージ性があってもなくてもいいのですが、そういったメッセージ性を持ったテーマを扱ったという点において前作を評価した方にも本作はおすすめしません。本作でも女性の扱いはひどいものですし、それを目の当たりにしたことが前作のフュリオサの脱出劇につながるという言及はありますが、あくまでも本作はフュリオサの復讐劇です。

 

わざわざ前作を予習して映画館に行ったのに、残念だったな(^^;

やっぱりスピンオフはスピンオフ、外伝は外伝か…と自分を納得させて、新たな名作との出会いを楽しみにします!

最後までお読みいただきありがとうございました!

【レビュー/80点】『マッドマックス 怒りのデス・ロード』イカれてるのに万人向け映画だった

こんにちは。

今さらですけども『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(原題:Mad Max: Fury Road)を鑑賞したのでレビュー・感想を残します。

最新作『マッドマックス:フュリオサ』(原題:Furiosa: A Mad Max Saga)の予習を兼ねて鑑賞しました。

本作はイカれてるのに実は真面目で丁寧で、なおかつ迫力とカタルシスに満ちた万人向け娯楽作品でした。

100点満点中80点といたします。

https://warnerbros.co.jp/img/title/info/art/path/50004/1000581756_j1.jpg

warnerbros.co.jp

ファンの持ち上げを気にせず素直に見てみた

実は、今回最新作の予習を兼ねて本作を鑑賞する何ヶ月か前にも本作をサブスクでちょっと鑑賞していたのですが、その時はあまりいい印象を受けずに途中で鑑賞をやめてしまいました

というのも、本作は劇場公開後SNS等でファンの絶賛が非常に多く、それらの意見は私の目にも入ってきていたこともあり、私の中で本作のハードルは高く高く上がっていました。それだけにとどまらず、大変勝手ながら、私には本作の熱心なファンの振る舞いが押しつけがましい布教活動のように感じられてしまい、悪い印象を持っていたため、私は本作を色眼鏡で見てしまっていました

しかし今回の鑑賞にあたっては、他の映画鑑賞や読書体験によって私の心が洗われていたため、非常に楽しくマッドマックスを体験することができました。

映画というのは「いつ観るか」「いつ出会うか」というのも大切な要素ですね。

万人向けではない万人向け作品

さっぱりとしたノンストレスな構成

事前に持っていたイメージとは打って変わって本作は親切な映画でした。小難しいことは一切無し。「頭空っぽにして楽しめる」という褒め方は嫌いだが、作中で描かれている事象を正面から捉えていけば自然と作品にのめり込むことができました

アクションシーンと最低限の説明シーンのメリハリがついているので、激しいアクションに流れに身を任せる場面と登場人物の言葉に耳を澄ます場面とを間違わなければ全体像をつかむことができる作りになっています。

一部、言葉であれこれと説明されない要素もあり、映像に集中する必要はありますが、嫌でも目に飛び込んでくる刺激的な映像で本作の世界の成り立ちをつきつけてくるので、むしろ言葉で説明される要素のほうが気を抜いていると置いて行かれるかも知れませんね。

序盤の「どういうこと?」「どういう人なの?」という要素がしばらくそのままに話が進んでいく部分もありますが、しっかりと後のシーンで拾われるので気持ち悪さが残らないところが、めちゃくちゃに見えるけど優しいところあるじゃん(ぽっ)という感じで好印象でした。

血液袋の設定やフュリオサの義手が、なるほどなるほどこれがやりたかったんだな、と腑に落ちて私の中では地味に満足でした。

また、本作の終わり方は続編をにおわすこともなく、さらには登場人物のその後もまったく描くこともなく、虐げらていた人々の勝利と解放という「高揚」と英雄の一人マックスが静かに去るという「渋み」とをさらりと描き終幕することで、非常に爽やかな余韻を与えてくれました。かっこいいかよ。

イカれた映像でテーマは普遍的

そんなとっても見やすい作りの本作ですが、その中で風刺的とも取れるテーマ(ジェンダー論)を扱っているところも特徴ですね。

性の問題について「風刺的」という言葉を使いましたが、今の時代にちょうど注目されている事象というだけで、本作が扱う普遍的テーマ(強者と弱者、男と女、支配と自由、暴力と平和…)のうちのひとつであると言えます。

狂気の近未来世界だからこそそれらをヒロイックにもグロテスクにも強調して描くことができます。荒々しくおバカなようでいて見る角度によっては真面目にメッセージを感じ取ることもできることが本作に深みを与えていますね。

ビジュアルでハッキリ見せてくる一方でメタファーも組み込まれているため安直な印象にはなりません。フュリオサの故郷の老婆が持っている「汚染されていない種」は、今の世界を支配する男とは異なる本来の健やかな男、未来を共に歩んでいける男を表していますね。他にも作中に散りばめられているでしょう。

本作では女達は非常に過酷な運命に晒されています。おそらくは、製作スタッフ達の中にはマッドマックスという素材を使ってどうしたら効果的に狂気を演出できるかという意識がまずあり、その製作の過程で女性の扱いがピックアップされ、デフォルメした非倫理的な描写を徹底した結果が本作である、と私は観ています。その副産物としてジェンダー論的メッセージ性を押し出すことにも成功したのではないでしょうか。

何故か惹きつけられるキャラクター

火炎放射ギター男

なんなのでしょうか、彼は。かっこよすぎます。真っ赤な全身タイツに火を吹くギター。しかし彼はかっこいいだけです。そこがいい。

彼が奏でるギターからは火炎が吹き出ますが、それによる戦績はそれほどなく、むしろ場を盛り上げるためだけに火を吹いています

こんなイカしたナリをしていならがら命綱を使っているという点も、愛すべきポイントです。終盤ではこの命綱でぶらんぶらん可愛く揺れています。

さほど好戦的ではなく命の心配をされているということは、イモータン・ジョーの軍団における彼のポジションは根っからのにぎやかし野郎に違いありません。

高校野球でいうところの、伝令係としてチームになくてはならない愛されキャラの部員のような男なのではないでしょうか。

両乳首ピアスチェーンつなぎ男

彼は左右の乳首にピアスを開け、その両方をチェーンでつないでいます。

なんでそんなことをしているのか私にはわかりません。カッコつけられてないよ?邪魔でしかないと思います。

この風貌そのものというよりは、こんな変態ないでたちでありながらサラッと当たり前のように彼が画面に映りこんできたことにシビれました

彼は私の中では「まだこんなおかしなやつが控えていたのか…」というようなダメ押し役として私の心に刻まれました。

ウォーボーイズくん達

イモータン・ジョーの軍団を構成する白塗りのスキンヘッド達。

彼らはまるで仮面ライダーのショッカー戦闘員のようでどこか憎めない存在でした。

自らが信じる狂気に対してひたむきに愚直に突き進む彼らによって本作の善悪のグラデーションが生まれていましたね。

まとめ

マッドマックス 怒りのデス・ロード』は灰汁の強いビジュアルと驚異のアクションで狂気の世界を描きつつも、すっきりとした構成と普遍的なテーマによって多くの人がその世界の魅力を爽快に楽しめるイカれた万人向けの作品でした。

現在は各種サブスクで見放題視聴できます。私はNetflixで観ました。

最新作『マッドマックス:フュリオサ』の前に予習するも良し、最新作鑑賞後に興味を持っておかわりするために観るも良し、興味を持った方には是非観てほしい作品です。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ダイソーの100円靴下『デカソックス』を履いてみた

夏も近づく八十八夜、短めの靴下を求めていたところ、立ち寄ったダイソーで大きいサイズの靴下が売っていたので買ってみた。

ダイソーの靴下デカソックス。足首まであるタイプ。3種類買ってみた。

実は大きなサイズの靴下は店頭で手に入りにくい

足のサイズがそれほど大きくない人にはピンとこないだろうが、28cm以上の靴下は店頭で扱っていないことがほとんどだ。ユニクロでも無印良品でもまず置いていない。ネットなら取り扱いありと書かれている。

シャツやズボンのサイズはあれだけ種類が用意されている紳士服のコナカ、AOKI、青山などでも靴下のサイズはたいてい1種類しかなかったりする。

そんな厳しい環境の中で生きている私は靴下は通販で買うことが多いのだが、先日立ち寄った100円ショップダイソーで『デカソックス』なる商品(正式には『抗菌防臭ビッグサイズアンクル丈ソックス』)が展開されているのを発見したので買ってみた。

ダイソーの店頭でデカソックスを見つけた時は、遠く離れた異国で日本人に出会った時のような温かい気持ちになった。ありがとう、ダイソー

大きな靴下は売り場で見つけづらい

『デカソックス』は陳列棚の一番下の列になっていた。足の大きな男は背が小さいだろうか、いや、たいてい背は高い。背が高い男は自分の足に合う靴下を見つけるのに注意力と曲げても痛まない膝が必要だ。

買う人が少ないだろうから一列しか無いのは仕方ないにしても上のほうに持ってきてほしい。あるいはKiroroの歌を売り場に流しておいてほしい。

「BIG SIZE」よりもカタカナの「デカ」を大きくしてほしい

ゆったり薄手で履き心地ヨシッ!

『デカソックス』を手に取ってみると、ファストファッションのお店や紳士服店で売っている靴下と比べて生地の薄さが気になる

その薄さのおかげか生地がよく伸びるので足が窮屈な感じがしないところは良い。

生地が薄手なのでシューズに足を入れた時の窮屈感も出にくい。

薄手とはいえメッシュの部分は無いので通気性は普通の靴下と変わらなかった

左足に履いてみた。すね毛が見苦しいのでヨッシーっぽく塗りつぶした。

半日歩き回ってみた結果、耐久性に不安あり

さっそく両足に『デカソックス』を履いて半日ほどウォーキングシューズで歩き回ってみた。歩数にしておよそ7000歩である。

私は毎日なるべくこれくらいは歩くようにしているが太っている。なぜか見当もつかない。今日もごはんが美味しかった。

半日使用してみた結果、『デカソックス』はダメージを受けていた。穴が開いたりはしないが、繊維の傷みが見て取れる。毛玉ができる前に穴が開くだろう。

こんな時にiPhone Proシリーズのマクロ撮影なんぞができると便利だろうなと思う

また、最初に足を入れた時にも気になっていたが、薄手の生地から少しだけ肉が透けて見える

人前で靴を脱いだ時にうっすら透けていると恥ずかしい。私の足を凝視するような人はいないと思うがちょっと気になる。

透けてて嬉しいのはK-POPアイドルの袖くらいである。

透けるかかと。ちなみに私のゲームボーイカラーはスケルトンの白だった。

まとめ

ダイソーの100円靴下『デカソックス』は、薄手で履き心地に文句は無い。これが100円ならお買い得だろう。

しかし耐久性には不安が残り、安物買いの銭失いになってしまう可能性は高そうだ。

でも100円だからまた買っちゃうかも知れない。

傷んでるのに穴が開かないから捨てられずにいる靴下よりも、穴が開いてくれたほうが捨てても心が痛まないので、これはこれでいいのかも知れない。

足が大きくて靴下にたいしたこだわりのない人はダイソーへGO!だ。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

抗菌防臭ビッグサイズアンクル丈ソックス(ライン、28cm-30cm) - ダイソーネットストア【公式】

【レビュー/70点】『ライド・オン』中国美女にほれぼれ!ジャッキー版『不適切にもほどがある!』でウマ息子に涙せよ!!

こんにちは。

本記事はジャッキー・チェン50周年記念作品、映画『ライド・オン』のレビュー・感想になります。

ネタバレが含まれますので、ご注意ください。

目の保養と涙活におすすめです!!

youtu.be

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ride-on-movie.jp

 

あらすじ

香港映画界伝説のスタントマンと言われたルオ・ジーロン(ジャッキー・チェン)はケガをきっかけに第一線を退き、現在は借金取りに追われながら中国の撮影所に住み込み、愛馬・チートゥとエキストラなどの地味な仕事をこなす日々を送っていた。ある日、チートウの元持ち主であった友人ワン(レイ・ロイ)の債務トラブルが原因で、チートゥが競売にかけられる危機に。困ったルオは疎遠になっていた一人娘のシャオバオ(リウ・ハオツン)を頼る事にする。法学部の学生であるシャオバオは、恋人の新米弁護士ナイホア(グオ・チーリン)を紹介。だがシャオバオは、スタントに入れ込むあまり母と離婚した父を受け入れられずにいた。チートウに惚れ込んだ大企業の総裁で馬好きのホー(ユー・ロングァン)が、チートゥを買い取りたいと申し出るがルオは請け合わない。昔ながらの体を張った危険なスタントに固執する姿に反発したシャオバオとも溝ができてしまう。結局は裁判で負け、チートウをホーに譲る事になったルオ。シャオバオは、仕事にも家族にも命をかけることでしか愛を伝えられない不器用な父の為に愛馬を返して欲しいとホーに懇願するが・・・

(引用:ライド・オン - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画

↑これもう映画のオチ以外ほとんど書かれてますね(^^;

昔気質のオヤジはつらいよ…ジャッキーの哀愁が良い!

あらすじにもある通り、ジャッキー演じるルオは音信不通だった娘シャオバオを頼ります。

亡くなった母親のことでシャオバオは父ルオのことを恨んでいるのですが、撮影所での働きぶりやチートウとの関係性を見て父のことを見直し、チートウの所有権についてだけでなくルオのスタントマンの仕事にも手を貸してくれるようになります。

しかしシャオバオはルオのスタントマンの仕事に対する姿勢や、自分自身への態度、そして愛馬チートウへの扱いを見て、「やっぱりお父さんは何もわかってない!」という感じで愛想をつかしてしまうんですね。

ルオはスタントマンという映画業界の中でも特に危険な仕事をしていますが、仕事に対する姿勢は昭和の日本のお父さんと重なるものがあります。

家庭を顧みず、プロジェクトの為に全身全霊で取り組む姿はまさしくモーレツであり、うまくいけばお金もガッチリゲット、現場の空気も最高潮、景気がいいぜという雰囲気はバブルな感じです。

ルオはシャオバオとチートウのおかげでもう一度あの輝かしかった頃の自分を取り戻すのですが、シャオバオはそのルオを否定するんですね。

ルオを昭和世代、シャオバオを令和世代として見ると、まさしく本作はTBSドラマ『不適切にもほどがある!』(以下『ふてほど』)のジャッキー版といった趣です。

www.tbs.co.jp

『ふてほど』は昭和から令和にタイムスリップしたオヤジが「それおかしいですよ」「そんなの今は通用しませんよ」と令和の若者や中堅世代から責められながらも、「これがオレのやり方だ!」「もっと大切なもんがあるだろ!」とイケイケな行動力で令和の人々の心をちょっと動かしたりする作品でしたね。

そして『ふてほど』では父と娘、本作と同じく父子家庭の親子の関係も描かれていました。

『ふてほど』の場合は、父も娘も昭和の親子なんですが、スケバンの娘は序盤は何かにつけて喧嘩していましたが、ストーリーが進むにつれて父の想いを知り、変わっていく父を見ていくことでオトナになっていきます。

もうだいたい『ライド・オン』の話もこれなんですね。

中国でもこういう世代間のズレや理解し合う姿勢をテーマとするのが流行っているのかな?

『ライド・オン』だとタイムスリップはしませんが、最新の撮影技術を駆使するルオの弟子と、生身のアクションにこだわるルオが揉めます。

自分のやり方を誇る気持ちはわかるけども、ルオは過去に取り残されてしまったオヤジのように描かれています。

親子の関係について言えば、『ライド・オン』には実の娘シャオバオだけでなく、愛馬チートウがルオの息子として登場し、父と息子の関係性の問題を描くために一役買っています。

ルオはあんなに愛していたチートウを、気が付けば自分の夢を叶える道具として扱ってしまいます。

これはまるで『巨人の星』の星一徹星飛雄馬(偶然にも「馬」が…)のようです。

父と息子の関係が昭和チックなところも、ルオはシャオバオに叱られてしまいます。

ルオは周りの人を愛しているんだけども空回りしてうまく伝わらない悲しいオヤジとして描かれていて、観ていて少し胸が苦しくなりました。

一方で、しょうがないオヤジだな…と呆れる気持ちもありました。

こういうところは男はつらいよ』の寅さんっぽさがありました。

ルオの人間性もあって周囲とのパワーバランスがちょうどいい塩梅になっていたので、観ていて不快な気持ちにはなりませんでした。

老いを感じるがジャッキーアクションは健在!

アクションはジャッキーの老いを感じてしまいますが、コメディ感のあるアクションシーンは楽しいものでした。

ちょっとおじいちゃんなのに何故か勝ててしまうジャッキーの姿はまさに老師の貫禄でした。

ジャッキーのアクションがマイルドなのでやり合う相手もめちゃくちゃなダメージを受ける描写は無く、派手さには欠けます。

血が噴き出したりしないおかげで小さい子供にも安心して見せられますね。

とはいえ、スタントの危険性を見せるシーンは本当にヒヤヒヤさせられますから、退屈な感じはありません。

ジャッキーだけだと物足りなくなるところをチートウがカバーしていました。

チートウが怪我をしないかハラハラしっぱなしで、シャオバオの言うことを聞かずにチートウに無理をさせるルオにちょっとイライラするほどにチートウが頑張っています。

仮面ライダーばりに爆発の中を走るチートウにオロナインを塗ってあげたくまりました。

女性俳優にメロメロ!中国映画で新鮮なトキメキ

リウ・ハオツン

シャオバオです。

可愛すぎる!彼女だけでも「観に行ってよかった!」と思わせてくれました

雰囲気は石原さとみさんと、福地桃子さん(哀川翔さんの娘)を混ぜてシュッとさせた感じです。

ものすごい透明感です。歩くシースルーです。蒸し暑い梅雨にそばにいてほしいです。

吹替は水瀬いのりさんという方でかわいい声でした。

ちょっと子供っぽすぎる声かと思いましたが、観ているうちに役者の顔と吹替の声がだんだん一致してきました。

完全に自立していないシャオバオの役柄に結果的にハマっていました。

水瀬いのりさんの出演歴を見ると、聞いたことはあるけど見たことないアニメとかゲームが多くて自分の守備範囲も狭いものだなと思いました…。

私が知ってる声優は井上喜久子さんだけなので。

pin.it

ラン・ユエティン

ルオの妻、シャオバオの母親役で出演していました。

温かい雰囲気のある色っぽい人でした。

グラビアアイドルの風吹ケイさんに似ています

本作の公式ページで名前が出ていないので、扱いが悪いですね…。

参考までに風吹ケイさんを。

pin.it

ジョイ・ヨン

ルオのスタント仲間シアマオの妻インズとして出演。

ちょっと南方の香りがする美人でした。メイクのせいかな?

画像検索すると歌手として活動している際の画像がたくさん出てきますね。

作中の雰囲気は中国のシガニー・ウィーバーという感じでカッコよかった。

pin.it

ストーリー運びはちょっと引っかかる…

中盤~後半の入りあたりで父と娘の関係の話をこね過ぎています。

そのせいでチートウが引き取られてしまうのかどうかの問題がほったらかしになっていました。

父と娘の関係が修復される段階の話がやたらとトントン拍子に進むせいで、他の部分がもたついた印象になります。

本編中にルオとシャオバオ、シャオバオの恋人とその両親との会食シーンがあります。

かなり序盤にシャオバオの恋人が「実は両親がキミのご両親のことを気にしているんだ」と話していますが、会食シーンは中盤の終わりくらいでした。

「そういえば両親と会うみたいな話してたな。今さらか」となりました。

全体的に、色んな話が同時進行しているというのを上手に見せられていなくて、観ていて気持ちよくないストーリー運びです。

もっと早く恋人の両親をチラ見せしておいて、2回目にちゃんと会食して父と娘の絆をアピールするとか、そんな感じにできなかったのかと思いました。

余計な要素と描写不足が気になる

余計なシーンもありました。

借金取りの青年をルオが諭してスタントマンになるように勧めるくだりは何の為にあったのかな?

そんなことをやってる割には、終盤でルオの脳裏をよぎる娘の言葉は「そんなこと言ってた?!」っていうようなグサグサ刺さるようなものを詰め込んで出してきました。

絶対今までの本編で言われていないのにルオが勝手に思い出しているから違和感を覚えました。

借金取りをちょっと掘り下げるくらいなら、ルオが思い出してる娘の言葉を本編でちゃんと言わせろよ!と思ってしまいます。

これは吹替で見たからおかしくなってたのかな?

だとしたら吹替台本にちょっと問題ありです。

詰め込み方に工夫が見えない!

時代に取り残されたスタントマン、父と娘との関係、人生の一部とも言える愛馬との関係…これらがうまく絡んでいるようでいて、実際はゴテゴテと足し算しただけの脚本になっています。

お母さんが亡くなっているせいでややこしくなっているので、お母さんは生きていてもよかったのでは?とも思います。

チートウを欲しがる大企業の総帥の影がめちゃくちゃ薄いんですよ。すげえイイ人風に終わってるけど。

お母さんの再婚相手が総帥で、娘は母に黙って実の父ルオを助けるとかやればいいのに。

それか娘が新しい世代のアクション俳優で、映画人としてルオと対立するとか。

実際の本編の新世代アクションスターになったルオの弟子は、都合よくぴょっと出てくるだけで即席感が強いんですね。

あと、馬を出した以上は馬にもドラマチックな展開を作りたいんでしょうけど、スタントマンとして再び脚光を浴びるようになったルオとチートウの奮闘と、チートウを手放すか手放さずに済むかという問題との絡みがどうにも弱いんですね。

娘が総帥側の弁護士としてチートウを奪おうとしてくるけど、考えを改めるとかでもいい気がするんですけど、そうすると別れが描けないからチートウで泣かせたい作り手には都合が悪いんでしょうね。

そもそも名馬コレクターの総帥がほしがるような馬でもないんですよチートウは。

とにかくチートウで泣かせたくてしかたないんですね、今作は。

私も2回くらい泣いてます!

チートウがルオを追いかけてくるシーンは『あらいぐまラスカル』みたいで泣くに決まってますから(笑)。

あるいは『3年B組金八先生』第2シリーズの加藤優のお母さんですから(ルオとチートウの立場は、加藤勝とお母さんとは逆だけど)。

元も子もない話だけどチートウで泣かせようとしないほうがこの映画は綺麗な作りになります!

チートウすげー!チートウかわいー!チートウのおかげでルオとシャオバオが仲直りできたー!ハッピー!くらいで満足できます。

なんならルオが撮影所すらクビにされてチートウとお別れ、みたいな泣かせ方でもいいです。

ルオが怪我でもうスタントができなくなり、じゃあこの馬も用済みだなとなりそうなところを、弟子がなんとかしてチートウに認められてチートウと組んでスタントで活躍して居場所を勝ち取るとかしとけば、アクションシーンも若いアクション俳優で派手にできますしね。

この場合、弟子がシャオバオの彼氏で、「スタントマンに娘はやらん!」とかルオが反対したら、これはこれでいい感じのオヤジものになったんじゃないでしょうか。

さすがにジャッキーの影が薄くなっちゃうのでダメか。

作り手側がいろいろ考えたあげく本作が完成してるわけですが、もうちょっとキレイにまとめてほしかったです。。

いや~映画を作るのって難しそうですね(無責任アピール)。

 

しかしですね、みなさん、是非劇場で美しいリウ・ハオツンとかわいいチートウを見てください!

目の保養と涙活におすすめの『ライド・オン』をどうぞお楽しみください!!

最後までお読みいただきありがとうございました。

【レビュー/50点】『関心領域』最後まで関心を逸らさなかった者だけがこの映画に石を投げろ!!

こんにちは。

今話題の『関心領域』を見てきました。レビュー・感想です。

あえて点数をつけるなら100点満点中50点なのですが、おもしろいとかつまんないとかいう映画ではない気がしますね…。娯楽作品ではないので。

ネタバレあるので嫌な人は気をつけてください。

https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/images/intro_head.jpg?1717912811452

happinet-phantom.com

あらすじ

舞台は第二次世界大戦中のドイツ。

アウシュヴィッツ収容所に隣接する邸宅で暮らすドイツ人将校の一家は平穏な暮らしを営んでいた。

夫(ルドルフ・ヘス - クリスティアン・フリーデル)はアウシュヴィッツ収容所の建設を取り仕切る司令官である。

妻(ヘートヴィヒ・ヘス - ザンドラ・ヒュラー)は夫の任務で手に入れたこの邸宅をひどく気に入り愛していた。

子どもたちはアウシュヴィッツ周辺の美しく豊かな自然の中でのびのびと育っていた。

しかしその幸せな家庭の壁一枚隔てた向こう側では恐ろしい計画が実行されていた。

意図された退屈に、してやられたり!

本作は正直退屈でした。しかし、振り返ってみると、これは意図された退屈であり、監督(ジョナサン・グレイザー)にしてやられたなと、ちょっと手のひらを返したくなりました(笑)。

本作はナチスドイツによるホロコーストを題材としていますが、その悲惨さは直接的には描かれず、日常に溶け込ませて見せてくるのみです。ガス室とかガリガリに痩せたユダヤ人とかは見せてきませんので、ダイレクトにショッキングな映像を見たくない人でも観ることができます。

遠回しなやり口でユダヤ人の虐殺を描写してきますので、そうすると観ているこっちもそういった風景に慣れてくるんですね。この「慣れ」が無関心につながってくる、意識しなくなってしまうのです。

ホロコーストと隣り合わせの日常に慣れてきたあたりでちょっとストーリーが動くんですよ。「仕事の都合で引っ越すかも知れん」と旦那が奥さんに告げるんですが、その時の奥さんが強烈です。愛する我が家から離れたくない奥さんは怒り狂って叫びます。見ていて引きました。心なしか旦那も引いていたように思います。「なんとかならないの!上の人に頼んで!!」とか言うんですね。「ヒムラーに?」「そう!ヒムラーがダメならその上!!」「ヒトラーに…。はいはいわかった、上に相談してみるよ」とかなんとか話して旦那は話を終わらせるんですけど、家に戻った奥さんの怒りは収まらないんですね。この一家は金持ちなのでお手伝いさんが何人かいるんですが、そのうちの一人がちょっとヘマをして床を汚しちゃうと「なによこれは!!早く綺麗にして!!」「役立たず!いつも贅沢させてやってるのに!!バカ女!!」「夫があなたを灰にして、この辺一帯に撒いてやるわ」とかボロカス言います。ひどすぎて笑ってしまいました。

一方、旦那は「仕事と家庭に挟まれる世のお父さん」という感じで追い詰められていくんですね。仕事中にも「息抜きしないとやってられんよ…」という感じでえっちなデリバリーも呼んじゃいますし。事後にち○ち○を綺麗に洗う冷静さは、さすが将校ですね。ストレスで体を壊していく様子も描かれます。

こうして金持ちドイツ人将校一家にも人間味が見えてきて、初めは無かった共感が観ている側に生まれてくるんです。そうなったところでガツンとやられます。どうやられるかは他のレビューを読むか、映画館に行って確かめてほしいです。

平穏な生活を切り取る撮影アイデア

映像は綺麗でした。ちょっと引いたアングルで固定カメラで撮られています。メイキングによると無人で撮ったようです。カメラだけが置いてあって、スタッフがいない空間で役者が演技をしました。撮り手の意思を宿らせないことで映像の客観的な空気感を出しています。

顔のアップと表情の芝居で、研究への熱中や取り返しのつかない発明への苦悩を表現していたオッペンハイマー』とは対照的でした。

他人の生活を覗き見している感じが登場人物に対する中盤からの共感に下世話な気持ちを上乗せしてくれます

でもメイキングで種明かしというか、理屈を聞いてからその良さが増すという感じであって、本編を観ているときは意図した退屈さを出す為とは言え、眠くなりかける映像が多いです。

第96回アカデミー賞で音響賞を受賞

音響についてはみんながあれこれ書いているので特に書きません(笑)

劇中の壁の向こうから聞こえてくる音は、もう見る前からネタバレ食らってるようなものだし、「そういう見せ方をするのね〜」くらいの気持ちで観ていました。

これが、観てる側も奥さんのお母さん(この邸宅に引っ越してくる)と同じくらいのタイミングでピンとくるような組み立てならゾクッときたかも知れません。

エンドロールは個人的にはうるさくて不快でした。結構好評なようですが。

映画館で観るべき凝った演出

演出は鼻につくというか、奇をてらってらっしゃる感じで、「ずいぶん凝ってはりますなぁ〜(京都マインド)」という印象を持ちました。

赤い綺麗な花がアップで映って、だんだん画面に赤が広がっていって最後はスクリーンが真っ赤になるっていうのがあるんですが、映画館の大きなスクリーンでやられるとギョッとしますよね、くらいの冷めた目で観てしまいました。

画面がしばらく真っ暗で無音になったり急にデカい音出したり、「小学校の先生かよ!」みたいな、後から振り返るとそんな印象になります。

まとめ

正直、観てほしいとも思わないし観るなとも思わないし、観たければ観たらいいかなっていう作品でした。

ただ、物語の後半で一家もちょっとずつ壁の向こうで何が行われているのか気が付く描写があり、いたたまれなくなって物理的に距離を置いたり、目を逸らしたり、「それの何が問題で?」みたいに振舞ったり、それぞれが異なる反応を見せるんですが、「さて、今のあなたは?」と問われているような気持ちにもなるので、「考えさせられる映画」ではありました。

とはいえ、この映画でも描かれているように、生活のこと仕事のことに追われてるとウクライナとかガザとかの話もどうしても日常に溶け込んでしまいますよね。

だからこそマスコミは大谷翔平のことばっかりニュースにしてないでヒリヒリするような話題もしっかり一日の中でどっかで報道し続けてほしいし、政府とかマスコミみたいな権力を持った人間が情報を伏せてると無関心が作られちゃいますよね。

それ故に我々一般市民は団結して権力と戦わねばならない!

団結し、全ての情報を解放させるのだ!

ガンジャ解禁!らすたふぁーらーい!!

余談:犬めっちゃかわいい

余談ですが、一家が飼っている犬(黒いラブラドールレトリバー)がかわいいです。犬がめちゃくちゃ芝居してます。気まずいところに顔を出してすぐ出ていくとこは笑いました。犬好きにおすすめの映画です。馬もかわいい。

こうやって本題から離れて動物に気持ちが持っていかれるのも監督による関心領域の誘導だったかも知れませんね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!