昨日、映画『ルックバック』を鑑賞してきた。原作の漫画が一時期SNSで話題になっていたので名前だけは知っていたが、結局読まないままアニメになった。アニメになったことも映画館で流れる予告編で初めて知ったほどに私のアンテナは低い。その程度の人間の感想・レビューと思って読んでほしい。ネタバレあり。
早期入場特典はネーム版単行本。なかなか憎い特典である。私のような人間がもらっていいのだろうか。ファンは劇場に急げい。
- 『ルックバック』とはなんぞや
- 私にとっての『ルックバック』と藤本タツキ
- 子供の狭い世界だからこその挫折と喜び
- 藤野と京本の青春、二人を包む世界がまぶしい
- 目を背けたくなる理不尽
- あなたが創作する理由は?
- まとめ
『ルックバック』とはなんぞや
概要
『ルックバック』は、藤本タツキという漫画家が描いた漫画作品だ。集英社が運営している『少年ジャンプ+』というサイトで2021年7月19日に公開された。全143ページの長編読み切りだ。現在は単行本(全1巻)になっている。
もともと藤本タツキは『チェンソーマン』という作品でメジャーな人気も獲得していたし、少年ジャンプっぽくない作風で注目を集めていた。『ルックバック』は公開後すぐさまマンガ好きの間で大きな話題となった。漫画を描いたりアニメを作っているような同業者からの反響も大きかった。中には「『ルックバック』を読んで今後漫画を描いていく自信を失った」という人もいた。
そんな『ルックバック』がこの度劇場アニメ作品として2024年6月28日(金)に特別興行として全国の映画館で公開された。上映時間は58分。人気漫画の劇場アニメ作品としてなかなか珍しい短時間作品だ。
監督・脚本・キャラクターデザインを押山清高が務める。この人は過去に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』『借りぐらしのアリエッティ』『風立ちぬ』などに原画として参加している実力派のアニメーターである。世界最大のアニメーション映画祭として知られる仏アヌシー国際アニメーション映画祭2019の日本アニメーション特集「NEW MOTION -the Next of Japanese Animation-」で若手クリエイター26人の一人として選出されたりもしている。ということでアニメ版『ルックバック』もファンの間ではかなり期待されていたようだ。
ストーリー(導入部分のみ)
小学4年生の藤野は漫画を描くのが好きな女の子だ。学校の学年新聞に4コマ漫画を毎号2本掲載している。同級生からは「将来漫画家になれるね」とちやほやされてまんざらでもない顔をしている。
ある日職員室に呼び出された藤野はクラスの担任から学年新聞の4コマ漫画の枠をひとつ譲ってほしいと頼まれる。譲った枠に4コマ漫画を載せるのは同校に在籍する不登校の京本だと言われるが、藤野は京本が誰かもわからない。「漫画って素人には難しいんですよ」「学校にも来れない軟弱者に漫画を描くなんてできますかね~?」と藤野は悪態をつく。
京本の4コマ漫画が初めて掲載される学年新聞がクラスに配られる。藤野は言葉を失う。京本の描く漫画は藤野が描いている漫画とは異なり写実的なタッチで小学生が描いたとは思えないレベルのものだった。教室中がざわつく。これまで藤野の漫画で笑っていたクラスメート達の関心は京本に集まる。「これ描いた京本って誰?」「ほら、不登校の子だよ」「へー」藤野の隣の席の男子がぽつりと言う。「京本に比べると藤野の絵ってフツーだな」
これが藤野と京本の、お互いの顔も知らない二人の初めての出会いだった。
私にとっての『ルックバック』と藤本タツキ
『ルックバック』が話題になっていた当時の私は『チェンソーマン』すら漫画もアニメも見たことが無かったので藤本タツキという漫画家の名前は知らなかった。『ルックバック』については、なんだか話題になっているなあ、漫画家やアニメ関係者がやたらと絶賛しているなあ、と思う程度だった。
今も『チェンソーマン』にちゃんと触れたことが無い。頭にチェンソーがついた化け物みたいなキャラクターとチェンソーがついた犬みたいなかわいいやつとちょっとセクシーな雰囲気の女性キャラクターだけは認識している。
というわけで今回の劇場アニメ版の『ルックバック』にはかなりフラットな状態で触れることになった。X(旧Twitter)でアニメ版を鑑賞した人の感想をさらっと見たが、そこでもやはり絶賛の声が多い。でもストーリーは全然わからない状態を維持したので、みんながこの作品のどこにそんなに感銘を受けているのか、どれどれ見せてもらおうじゃないかという気持ちで映画館に向かった。劇場は平日の夕方にも関わらず若い世代の男女で結構な席が埋まっていた。さすが天下の少年ジャンプで話題になった作品である。
子供の狭い世界だからこその挫折と喜び
藤野の小学生時代は、井の中の蛙であると同時に狭い世界が全てになっている子供らしさが出ていた。同級生の評価が全ての藤野は猛烈に絵の練習をするのだが、心が折れて6年生の途中で4コマ漫画を描かなくなってしまう。学年新聞の4コマ漫画は漫画としては藤野のほうが京本よりもクオリティが高い。だから「藤野ちゃん漫画描くのやめないでー!」と想っていたら京本が言ってくれた。
勝手にライバルだと思っていた人間が最大の理解者だったという展開に胸が熱くなる。それは藤野自身もそうだったように見える。スキップともジャンプともわからない足取りで家に帰る。この時雨が降っている。最高の気分で浴びる雨。このシーンの藤野は創作に取り憑かれることの祝福と呪詛を同時に受け取っているかのようだった。
藤野と京本の青春、二人を包む世界がまぶしい
小学校の卒業式の日の出来事で藤野と京本は強烈に惹かれ合う。二人はタッグを組んで漫画を描き始めた。少年ジャンプに投稿することが目標だ。
藤野と友達になったけど学校にはまだ行けない京本、授業中に内職する藤野、コツコツカリカリ漫画を描いていく二人のワクワクした毎日がスピーディーに描かれる。10代の1年間はあっという間である。
入荷したばかりのジャンプを立ち読みするために夜中のコンビニに雪の中二人で行ってドキドキしながらページをめくるときの二人の表情が繊細なタッチで活き活きと描かれる。実写で役者にこの芝居をしろと言ってもかなり難しいのではないだろうか。完全に二人に感情移入してしまう。
藤野のおかげで外に出られた京本が見ている外の世界は輝いている。京本の世界はどんどんと広がっていく。人物だけでなく世界までもが見事に絵で表現されていた。絵が芝居をしている。漫画に夢中な二人の女の子を中盤までに見事に描いていた。
目を背けたくなる理不尽
そんなこんなで中盤までは好きだが終盤は観ていてつらかった。なぜこの展開にする必要があるのか。表現したいこと、伝えたいことを描くためにこの展開じゃないとダメだったのか。
半端に実際の悲劇的な事件を連想させる設定を真正面から取り扱うでもなく唐突に放り込むことで、話題になりさえすればいいという考えが原作者と編集部の間にあったのではと勘ぐってしまった。
そのくせラストは、並行世界の京本が残してくれた4コマ漫画と、京本が確かにそこに生きて自分の漫画を読んでいたことがわかる京本の自室を見た藤野が静かに漫画制作に戻り、もくもくと筆を走らせる背中を見せて終わっていくことで、藤野の中に生まれた晴れやかではないけれど前向きな強い意志をさらりと見せつけてマイナスに落ちていた観る者の気持ちを急スピードでニュートラルに持ち上げて現実世界へと突き放すという暴力的な畳み方を仕掛けてくる。
なんであのような展開にしたのか、途中からそればかり考えて観ていたが、答えを出せないまま劇場を出て公共交通機関を使って家に帰って横になった。
なんでなんだ。
ああいうことがあってもなお創作に携わり続ける人達の背中を押すためなのか。
創作に苦しむ人に馬鹿なことを考えるのはよせと忠告するためなのか。
突然の理不尽に見舞われてしまった被害者達に、あなた達が向き合ってきた創作が残したもので救われる人がいますよ、と魂に寄り添うためなのか。
なんなのか。
あの最期を迎えるために生み出された京本というキャラクターが不憫すぎるし、何か業のようなものを背負わされる藤野には同情してしまう。中盤まで主要人物二人が人間として丁寧に丁寧に描かれていたせいで余計にそんな気持ちになってしまう。つらい。
あなたが創作する理由は?
『ルックバック』は創作を楽しむ人、創作に苦しむ人に対して創作する理由を問いかけると同時に、答えのヒントを与えているように思える。私なりに感じたものをまとめてみた。ポエムみたいなってしまった。文章にするのは難しい。
なぜ描くのか?
楽しいから おもしろいから
伝えたいことがあるから ちやほやされたいから
笑わせたいから 励ましたいから
腹が立つから 悲しいから 苦しいから
意味も無いのに 役に立たないのに
自分が壊れてしまうかも知れないのに
誰かを傷つけるかも知れないのに
誰かを傷つけてしまったのに
それでもまたペンを握るのは、なぜ?
仕事だから? 自分には他に何もないから? それだけ?
描きたいことがあるから 描かずにはいられないから
読んでくれる人がいるから 応援してくれる人がいるから
楽しみにしている人がいるから
楽しんでくれた人がいたから
まとめ
こんな言い方をすると身も蓋も無い気もするが、本作に対しては「とにかく受け手の感情をグワングワンと振り回す展開にして、グワングワンと振り回されたら無条件に派手に絶賛する層にもてはやされた作品」という印象を持った。
ジャズドラムのめちゃくちゃな暴力的指導をする映画『セッション』とか、あんな感じで「すごいものを見た!」って思わせるならそれが一番手っ取り早いんじゃないかと思う。そう思わせることもなかなかできるものではないけども。
何かをモチーフにするならもっと丁寧に扱うか、あるいはわかりやすくハッキリと狙いが感じられる取り上げ方をしてくれる作品が自分は好きなのだとわかった。
でもこうしてなんなのなんなのって考えてるうちに、観てしばらくはあんなに嫌悪感と拒絶感があったのに、悪い作品じゃなかったなあという気がしてくるから不思議である。なにより、藤野と京本、こんなに創作に登場するの人間を好きになることって、そう滅多にあることではない。『ルックバック』を観たという体験に価値があったことは間違いない。
本作は創作が持つ尊さと危うさを美しい映像と音楽で垣間見せてくれる。原作のファンも、原作を知らない人も濃密な58分を是非体験してほしい。
というわけでみなさん、話題作『ルックバック』、劇場で家族揃ってお楽しみなさい。また次回お会いしましょう。さよなら、さよなら、さよなら。