私は頭の中を整理したいときにノートやメモ用紙に手書きであれこれ書き出すということをよくやる。ブログを書く時も一応そういう段階を経ている。
なぜ手書きで書き出すことが頭の整理に役立っているのだろうか。
キーボードは筆が滑る
手書きはめんどくさい。一文字一文字心を籠めなくても手書きには時間がかかる。同じ量の情報を書き出すならキーボードのほうが圧倒的に速い。ギャルのスマホ入力にも負ける。
だから、日記でもメールでも設計書でもなんでも、パソコンに向かっていきなりキーボードを叩きたくなる。しかしキーボードを打っていると筆が滑り始める。キータッチが上達してくると頭の中に浮かんだことをなんでもかんでもあっという間に吐き出せてしまう。
そうやって作成された文章はとっちらかったりちぐはぐだったり、同じところをぐるぐる回っていたりする。ものごとを伝えたり頭の中を整理したりするために文章をつくっているのに、これでは目的を果たせていない。意味がくみ取れず、スッと飲み込めない。
手抜きをしたい気持ちが要点を見抜く
そこで手書きの出番だ。さっきも書いたが、手書きはめんどくさい。キーボードのような速さで書き出すことはできない。
人というものはめんどうな作業をできるだけ手抜きしたくなる。どうにかして手の動きを最小限で済ませたい。その結果、手書きをすると自然と頭の中で考えていることの要点だけを書くようになる。
では、その要点はどうやって出てくるのだろうか。
ソシャクで要点を見つける
私の場合は、手書きで紙に書き出している時に頭の中の考えをソシャクすることでその要点を探っている。手書きのめんどくささがソシャクする時間を作ってくれる。
「この考えのだいじなところはなに?」とか「この意見はどこから出てきた?」といったことを問いながら頭の中の考えをソシャクしていると、小骨を抜いたり種を吐き出したりしておいしいところだけが残る。頭の中の考えはすっかり嚙み砕かれて、じゅうぶん味わうことができているからスッと飲み込める。
そうして飲み込んだ頭の中の考えは胃に落ちていって混ざり合い、腸で養分が吸収され、血となり肉となり書類やらブログやらの形になる。
その過程で最終的にいらなくなったものはうんこみたいなものだが、脳の中の畑にまいておく。汚い話になってしまった。
いきなりキーボードを打ちながらソシャクしたいが…
初めからソシャクしながらキーボードを叩けないかなと思うこともあるが、感覚的に脳と指とキーボードとモニターはダイレクトにつながっていない感じがしてダメだ。
紙に付着したインクは「こっち側」で、モニターに表示されるドットは「あっち側」な気がする。
変なところでアナログ人間な私としては、しばらくは「こっち側」でソシャクしてから「あっち側」で盛ったり整えたりして、なんとかやっていこうと思う。